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【 ルコント監督とその世界 その1 】  [映画]

【 ルコント監督とその世界 その1 】 

 

ルコント監督の一番新しい作品である「暮れ逢い」をDVDで鑑賞しました。「イボンヌの香り」「髪結いの亭主」「仕立て屋の恋」など、彼の作品に共通するひとつの特長があります。それは(西洋人)女性の美しい描き方・・です。

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不思議な事に、彼の手にかかると、平凡な美人がとびっきりに美人になります。決してコケティッシュな感じのない健康的な若い女性が、妙にエロチックな存在になります。「イボンヌの香り」のヒロインであったサンドラ・マジャーニは、まさに平凡で健康的な美人ですが、ルコント監督の手にかかると、男性の魂をとりこにする妖艶な美女に大変身します。

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その秘密は、男性の密かな視線を参考にしたと思われる、独特のカメラワークにありそうです。女性のうなじや唇など、ポイントとなる局部をクローズアップして撮ったり、何気ない普通の動作に注目して女性らしさを強調したり・・、つまりこれは若い男性が女性を好きになる時の視線そのものを、カメラに追わせているのです。

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男性の観客は、自分が見たい部分がスクリーンに映し出されるので、心地よく感情移入し、スクリーンのヒロインを、自分の恋人にしたくなるような美女だと認識します。

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しかし、ルコント作品で本当に重要なのは、そのような美女に翻弄される、冴えない男性の方です。しばしば、愚直で風采の上がらない男性や、非生産的で生活力の乏しい男性が、ヒロインの女性に憧れ、振り回されます。オヒョウなどもその典型ですから、冴えない中年男が美しい女性に惑わされる様子に、思わず親近感を持ってしまいます。それがルコント作品の真骨頂です。

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だから、今回も中年男性の琴線に触れる、ちょっと官能的な映画かな? と思ってみたのですが、少し趣きが違います。でも重要な点は共通です。

主役の男性は、頼りない中年男ではなく、大学の冶金学科を首席で卒業して製鉄会社に入り、すぐにオーナー経営者の秘書に抜擢されるバリバリのエリートです。

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上昇志向が強くて、女性をものにしようという野心家・・というなら、「赤と黒」のジュリアン・ソレルをイメージしますが、だいぶタイプが違い、ひたすら真面目で実直な、技術屋の男です。

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不倫の恋愛関係になる相手・・オーナー社長の妻・・もそれほど美しい女優ではありません。それでも、普通の女性を最大限魅力的に見せるところが、この監督の才能です。

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話は脱線しますが、日本の映画監督は、女優を美しくみせようという努力を怠っているように思えてなりません。 今をときめく是枝裕和監督も、いい映画を撮ることには心を砕くけれども、女優を美しくひきたてよう・・という努力が足りません。 綾瀬はるかに、いい演技を期待するというのは、ネズミにネコを捕れというのと同じくらい無理がありますが、せめて可愛らしく撮ってあげればいいのに・・。 カンヌ映画祭の雛壇に日本の女優を並べて、その横に是枝氏が立つのもいいですが、何の豪華さも感じません。

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昔、美しい女性の代名詞・・と言えば、映画女優でした。山本富士子型、あるいは吉永小百合型・・と言う具合に美しい女性のメルクマールになっていました。

映画館に通った男性の幾らかは、映画を見に行ったというより、美しい映画女優を見に行った・・・というのが本音だったはずです。

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でも今はそうではありません。映画女優以外にも美しい女性が大勢いるからかも知れませんが、映画に登場する女優が、普通にいる近所のちょっと綺麗な女性・・・ぐらいに、レベルダウンしたことも理由です。

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そして監督も女優を美しく撮ろうと努力しません。独断と偏見で言えば、女性を美しく描くことに拘り、ある程度成功したのは、近年の監督では、岩下志麻を撮影した篠田正浩、草刈民代を撮影した周防正行あたりではないか・・と思います。

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日本の映画監督は、美しい女優をより美しく描く工夫をヨーロッパの監督、特にルコント監督やポランスキー監督に見習ってほしい・・などと私は考えます。

余談ついで言えば、美少女を美しく描くことに関しては、スペインのビクトル・エリセ監督、美少年を美しく描くことに関しては、ルキノ・ヴィスコンティ監督が一番だと思います。

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しかし、映画は美しい女優だけを撮影していても、作品になりません。相手の俳優が重要です。ルコント監督は、女性に翻弄される男性に演技力のある一流の人物を使います。 「イボンヌの香り」では味のある演技をする二枚目イポリット・ジラルドを起用しています。

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そして今回の「暮れ逢い」では、女房に浮気される「寝取られ男」役にあのアラン・リックマンを起用しています。 映画「ダイ・ハード」の第一作で、テロリスト集団の首魁を演じ、徹底的な悪役になり切った男が、若い妻を残して、朽ちていく晩年の実業家を演じ切っています。 彼さえいれば、若い男女の俳優の方は大根役者でもいいというくらいです(実際にはそうではありませんが・・)。

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今回の「暮れ逢い」には、穏やかで上品な女性美を描く、これまでのルコント作品の切れ味はないものの、一定のレベルは維持しています。しかし残念なことが2つあります。

ひとつは、ドイツが舞台なのに、全てのセリフが英語であること。 全ての出演者が上品な話し方ではあるものの、アメリカ英語で話します。アラン・リックマンは英国人なのに・・。 唯一、少年が家庭教師にフランス語を習う場面でのみ、ちょっとだけフランス語が登場しますが、教える側も教わる側もドイツ人のはずなのに、英語で会話します。

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ヒロインがメキシコに行った若い恋人に出す手紙もなぜか英語で書かれています。一方で、街の看板や標識、人々が持つプラカードはドイツ語です。 なんだか興ざめです。 どうせ字幕スーパーを追うことになるのだから、ドイツ語でやって欲しかったなぁ。

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もう一つ、残念なのは、「暮れ逢い」という陳腐な表題です。引き裂かれた二人が何年も経って、中年になってから再会するので「暮れ逢い」でもいいのかも知れませんが、残念な名前です。 原題は「A Promise」で、これはメキシコに旅立つ時に、きっと帰って来るからまた会おう・・という約束が、最後に果たされるからです。

それを言ってしまうとネタバレなのですが、そのままの名前の方が良かったなぁ。

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それはともかく、私は全く別の観点から、この映画には興味深い点が2つあったのです。それについては、次回、申し上げます。


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