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【 タリウムと青ざめた馬 】 [雑学]

【 タリウムと青ざめた馬 】

 

殺人の容疑で逮捕されていた名古屋大学の女子学生が再逮捕されましたが、今度の容疑は高校時代の同級生にタリウムを盛ったとのこと。私の次男と同世代の若い女性がなんと恐ろしい事を・・・と思ったのですが、その毒薬がタリウムと聞いて、「うむ、懐かしい!」と思います。

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一時期、私はアガサクリスティの推理小説を多読していました。ロンドンにいた頃、出張の多い日々を過ごしていたのですが、空港のロビーや、駅の待合室で、待ち合わせの時間に読むのに、彼女の推理小説は最適だったのです。ちょうど舞台も英国ですし、臨場感がありました。為念、申し上げておきますが、私は日本語訳を読んでいました。

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その中で奇抜な出だしで始まる「青ざめた馬」は記憶に残る作品でした。ある若い女性が取っ組み合いの喧嘩をしている場面から始まるのですが、その女性が髪の毛を掴まれると、ズボッと大量の毛が抜けてしまうのです。 これはものすごく痛いだろう・・と思うのですが、彼女は平気な素振りで、捨て台詞を残して、現場を立ち去ります。

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これは一体どういうことか?と思う訳ですが、これは彼女がある種の毒を飲まされていたからなのです。その毒とはタリウムです。 これ以上言うと、ネタバレになるので、言いませんが・・。今、日本では、ネズミや害虫駆除に用いる毒薬として、ヒ素や、有機リン系の薬剤、ホウ酸などが思い当るのですが、かつてはタリウムも使われていたようです。 (あるいは私が知らないだけで、今でもタリウムは普通に使われているかも知れません)。それにしてもこの小説では薬物の中毒症状が正確に描かれています。

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そこで、ああ・・と思い当ります。ミステリー作家になる前のアガサは確か看護師だったはずです。 医師であったコナンドイルが描く薬物中毒の症状もかなり詳しいのですが、アガサクリスティの場合はその上を行くな・・なんて思います。

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そうか、タリウムを服用すると髪の毛が抜けるのか・・・。この小説を読んだ直後に、見事に禿頭となった男性に会ったのですが、思わず「タリウムをお飲みになりましたか?」と冗談で尋ねそうになりました。 勿論、口には出しませんでしたが。

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タリウム以外でも、ある種の抗がん剤の副作用で頭髪が抜けることが知られています。確かに薬品の作用で脱毛することは明らかです。 それなら、脱毛の原因が分かるのなら、その反対の作用を持つ薬品を摂取すれば、髪の毛は生えるのか?などと考えても、そこから先は分かりません。

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話は、アガサの小説に戻ります。 この作品でもうひとつ重要なキーワードは「青ざめた馬」です。 ご存知の方も多いと思いますが、青ざめた馬とは死神が跨っている馬のことです。 死神は冥界からこの馬に乗って現れ、麦の穂を刈り取るがごとくに、人々を冥界に連れ去っていくのです。

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この発想は西洋のもので、東洋では死神の来訪は、あまり話題になりません。三遊亭円朝の落語「死神」も西洋の話に想を得たものです。日本ではどちらかというと死神は茶化される存在で、漫画家にとっても、ひとつのテーマであります。

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園山俊二は、「はじめ人間ゴン」に、再三、間抜けなキャラクターとして死神を登場させます。骸骨でできた死神は、骸骨の馬に跨り、槍を持って登場しますが、骨をバラバラにされたり、追い返されたりして、獲物(死者)を得ることができません。

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さらに、絶妙の笑いを提供したのは、漫画家いしかわじゅんで、彼はギャグマンガの中で登場人物に「青ざめた馬事件」を語らせます。しかし、その落ちは、ここでは申し上げません。

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欧州で、この「青ざめた馬」の絵を見るのは古い教会の納骨堂などです。礼拝堂の下の地下室が納骨堂になっていたりすると、その入り口の上には死神の絵の額があり、

青ざめた馬の下には、一言書かれています。Memento mori=メメント・モリ、つまり死を忘れるな・・ですが、私には、この意味がよく分かりません。

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よく「我々はすぐに死ぬのだから、今を楽しめ・・」という享楽主義の勧めみたいに解釈する人がいますが、そんな意味の言葉を、教会の額に書くでしょうか?私はむしろ、「我々はやがて死ぬ。その時、神の審判を受けるのだから、生きている今を慎め」という戒めの言葉ではないか?と思うのです。「死を恐れよ」という解釈も可能ではないのか?

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東洋でも、死んだら閻魔様の前で罪を懺悔するのだから、悪事をはたらくな・・とか嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれると言いますが、それに近い感覚なのかなぁ・・と思います。

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それにしても、なぜ、西洋の死神は青ざめた馬に乗って現れ、生命を刈り取っていくのか? 私は、中世のヨーロッパで度々猛威をふるった疫病の存在が背後にあると考えます。猛烈な伝染病のペストやアジアコレラが何度も欧州全土を襲い、その都度人口を減らし、歴史をも変えた訳です。 その際、疫病は老若男女、貴賤や貧富に関わりなく、人々の命を奪いました。 まさしく大きな鎌で麦の穂を刈り取るように。

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死はあまりに急に訪れ、人々は見えない死神の到来を想像せざるを得なかったのではないか?と思います。 そこから、いつ訪れるか分からない死を、常に覚悟しておけ・・という戒めが、memento moriではないか? と私は解釈します。

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しばしば、仏教の無常観・・について考える時、私などは、ついこれは仏教固有のものであり、西洋、特にキリスト教の思想には無い・・と考えたりしますが、これは誤りかも知れません。西洋にも、死が突然に訪れること、人生はあまりに短いこと、永遠なるものは無い・・という考え方があって然るべきです。 疫病や戦禍は、洋の東西を問わず経験しているからです。

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だから、死神は青ざめた馬に乗って、人知れず、突然やって来るのです。

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ところで、名古屋大学の殺人女子学生は、人が死ぬところを見たかったから殺した・・などと語っているそうです。昭和の時代、人間の死はもっと身近にありました。私は知りませんが、戦争中は、戦地でも空襲の被災地でも、人の死は当たり前に近くにあり、ゴロゴロしていたそうです。戦争が終わった後も、やはり人々の死は身近で、病気で亡くなる人も交通事故で亡くなる人も今より多かったのです。 その頃に比べて、今の若い人が、人の死を知らない・・・といっても、何となく分かるのですが・・。

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しかし、この犯人に言いたい。死を見たいとか、死を知りたいとしても、焦る必要はない。 わざわざ、他人を殺して死体を見なくても、人の一生は短いのだ。急がなくても、自分の死をやがて経験することになるのだ。 その時まで、死の事を忘れるな・・・まさにmemento mori と言ってやりたいです。


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