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【 山本太郎が夢見た「襤褸の旗」 】 [政治]

【 山本太郎が夢見た「襤褸の旗」 】

ドイツの諺に 「一生懸命なバカほど始末におえないものはない」とか、 「勤勉はバカであることの埋め合わせにはならない」というものがあります。この言葉を思い出したのは、秋の園遊会での参議院議員山本太郎のパフォーマンスを見たからです。 彼にこの諺を捧げたい。

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彼が天皇陛下に手紙を渡したのは、本当に陛下に原発事故の現場の実情を知って欲しかったからなのか、単に目立ちたかったからなのかは不明です。 しかし、どちらにせよ、彼は支持母体である中核派などを除き、周囲から集中砲火に近い非難を浴びて狼狽しています。明らかに彼の予想した(期待した)方向とは違う結果になったようです。

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彼を非難する人は、いろいろな理屈で彼の行為を否定します。一番多いのは天皇の政治利用であり、憲法違反になるというものです。 それ以外にも、園遊会という場所を悪用したとか、天皇陛下は福島の事情にお詳しいのに半可通の山本が教えようとするのは僭越で失礼だとか、議員を辞職してから直訴すべきなのに辞職していないとか、必要以上に福島の現状を深刻に表現しており、風評被害を増やして福島のためにならない・・とか、果てはあまりに汚い字で書いた手紙であり、陛下に限らず読み手に対して失礼だ・・というものもあります。

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下村文科相のように、彼を田中正造に例えるトンチンカンな意見もありましたが、概ね、山本太郎の行為を非難する人に主張は、妥当でまともなものが多く見られました。その中で、法律論から最も説得力のある説明をしたのは、高崎経済大学の八木秀次教授です。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131101-00000008-wordleaf-pol&p=1

山本太郎は原子力と放射能についても、怪しげな知識しか持ちませんが、法律論にも暗いようです。知らなかったから仕方ない・・で通るかどうかは分かりませんが、いやしくも良識の府である参議院議員である以上、許される話ではなさそうです。これは普通のファンレターではないのです。

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天皇陛下が憲法上どういう存在であり、日本国民との関わり、国事行為や政治との関わりがどう決められているかを知る現代人は多くありません。私が学校で学んだ頃、憲法についての意見もひとそれぞれで、日教組に強く影響されていた小学校や中学校の教師は適切に教える事はできなかったのです。 ちなみに日教組と強い関係にあった共産党はそもそも天皇制に反対で、同じく深い関係があった社会党は象徴としての天皇を認めていました。

私は日教組の先生に質問した事があります。

「では象徴とは何か?」と尋ねても先生は答えられません。「天皇は日本国の元首ですか?」と尋ねると、「元首ではありません。憲法は主権在民を規定し、天皇を象徴としています」と若い女の先生は答えました。「元首と象徴の違いは?」と質問しても、先生は不愉快そうな顔をしただけで回答は得られませんでした。 本当は天皇そのものを否定したかったのです。

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こんな戦後教育を受けた我々に天皇を正確に理解できるはずがありません。英国に行けば、誰もが王室とその機能について詳しく語り、米国では大統領の権限と責任を誰もが知っています。しかし日本ではそうではないのです。 橋下大阪市長は「日本人なら、法律で禁止されていなくても、やっていい事と悪い事が自ずと判るはず」と語りましたが、それは無理な話です。私だけでなく、国会議員ではあるけれど、教養があるとは思えない山本太郎にも多分無理です。

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そして私自身は、天皇陛下の政治利用とか、憲法の規定とかとは関係なく、全く別の観点で、山本太郎の行為に複雑な思いを持ちます。 それは直訴とか上訴と言われる行為についてです。 日本史には、しばしば直訴、強訴といった行為が登場します。 有名な存在は、悪藩主の所業を大老に訴えた義民磔茂左衛門こと杉木茂左衛門とか、足尾鉱毒事件を明治天皇に訴えた義士田中正造です。日本史では彼らは英雄です。それは権力に対抗したからではなく自分の生命と引き換えに、人々の窮状を訴え、救済したからです。

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私の母によれば、江戸時代、加賀藩でも飛騨天領でも、農民一揆や強訴の首謀者は必ず死刑と相場が決まっていたそうです。代表の責任者は死罪となる代わりに訴えは聞き届ける・・というものです。なせか?と言えば、ルール無視の訴えは秩序を破壊するもの以外の何者でも無いからです。

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私の母の先祖は、江戸時代下級の官僚でした。その立場からみると、直訴くらい困ったものはないとの事です。飢饉であれ、不正であれ、圧政であれ、庶民が訴える内容とは、すなわち官僚の不手際、失策です。その訴えが、自分の頭越しに直接上司に届けられるというのは、甚だ困った事態です。さらに上役が、あるいは組織のトップがその訴えを聞くとなると、自分の立場はあったものではありません。実に困った事です。直訴の内容が聞き届けられた場合、面目を失った部下の官僚は切腹するしかありません。従って、直訴はそれなりの覚悟を以て行われるべきものであり、首謀者は、その願いが聞き届けられるか否かを問わず、死罪を前提としたのです。

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役人ではないけれど、長年組織の中間管理職の立場にいた私にはよく分かります。 ある時、若い部下が直接部長に仕事の不満を打ち明けました。 「部下にはそれぞれに不満があるだろう。しかしそれなら僕を飛び越えて部長に訴えるのではなく、まず課長の僕に言えよ。僕に黙って部長や副所長に言うなんて、掟破りだ」 と実に不愉快に思った記憶があります。

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かく言う私も職制の序列を飛び越えて、トップに訴えた事があります。秩序を乱すルール違反ですが、既に直接の上司には何度も訴え、それで埒が開かなかったために、止むを得ずに行ったのです。そしてその時には職を辞する覚悟をしていました。磔を覚悟した茂左衛門になぞらえるのは、おこがましいですが、代議士を辞してから直訴をした田中正造をちょっと意識したことも事実です。結局、それは空回りの一人相撲に終わり、私が会社を辞めただけで、職場は何も変化しなかったのですが・・・。

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組織に属する人が何らかの掟破りをして秩序を乱そうとする時は、辞表を懐に入れて置くべき・・というのは、サラリーマンの最後の矜持です。私はそう思います。 下村文科相のように、山本太郎を田中正造に例えるのは、とんでもない間違いです。

ありとあらゆる手段で足尾の問題を訴え、万策尽きてから、代議士を辞し、紋付き羽織袴の正装で、明治天皇の馬車の前にひれふし、直訴状を差し出したのが田中正造です。もちろん死罪を覚悟していたはずです。 それに比べ、なんとピンクの蝶ネクタイで園遊会に出席し、一礼する訳でもなく汚い字で書いた、情緒的で放射能についての錯覚の多い散文を手渡そうとしたのが山本太郎です。 彼一流のパフォーマンスだったのでしょうが、彼は事の重大さを知らず、もちろん議員辞職の覚悟もないようです。

ひょっとしたら、田中正造を描いた映画「襤褸の旗」くらいは観て、自分も真似したいと思ったのかも知れませんが、所詮浅いパフォーマンスで、覚悟の行動ではありません。

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私は、責任ある立場の人の無知を憎みますが、それ以上に覚悟の無い行動を軽蔑します。その一点に於いて、山本太郎は軽蔑されるべきであり、彼の行動を唾棄すべきものと考えます。もっとも、彼に言わせれば「田中正造は代議士、おれは参議院議員だ。立場が違う」ということかも知れませんが。


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夏炉冬扇

今晩は。
公判では目が潤みました。
いい文章読ませていただきました。
元気に「畦町起こし」みんなとやってます。
by 夏炉冬扇 (2013-11-05 19:01) 

笑うオヒョウ

夏炉冬扇様 コメントありがとうございます。
私は、三國連太郎が亡くなった時、マスコミが彼の代表作としてどの映画を取り上げるか、注目していました。 私なら「襤褸の旗」そして「破戒」を挙げるところですが、全てのチャンネルが「釣りバカ日誌」のスーさん役を一番にとりあげていました。 ああ
またのコメントをお待ちします。
by 笑うオヒョウ (2013-11-06 04:48) 

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