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【 下ノ畑ニイマス その1 】 [アニメ]

【 下ノ畑ニイマス その1 】

先日、スタジオジブリのアニメ「コクリコ坂から」を見ることがありました。

舞台となる昭和30年代は、私の記憶に残る時代です。ですから、私より若い世代(昭和30年代を知らない世代)が時代考証していると、本当の昭和と違うアラが見えていやになります。逆に昭和にこだわって、わざとらしいのも嫌味に思えてなりません。旧式の鋳物のガスコンロにマッチで火を点けて煮炊きをするのは、私には懐かしい風景ですが、これみよがしに演出されると、不快になります。 どうも私は我儘な観客です。

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ストーリーについても、不可解な点が多くあります。朝鮮戦争当時(昭和25年頃)、赤ん坊(0歳児)だった女の子が、昭和38年ごろに高校生というのは、ちょっと不可解です。

でもまあ、細かい事にこだわる必要はありません。

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作者が描きたかった事のひとつに、昭和30年代の高校生の世界があると思います。その時代に青春をおくった人たちは既に現役を退いた頃です。彼らの懐旧の思いをくすぐる考えでしょう。 同時に現代の高校生に、昔の高校生はもっと大人びていて、知的だったのだぞ・・と訴えたいのかも知れません。

哲学部には、一体何歳なんだ?と疑いたくなる老けた高校生がいて、哲学的な落書きがあります。 (もっともその多くは「我考えるゆえに我あり」とか人口に膾炙した箴言だったりして、あまり深さを感じませんが・・・)。

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では、その制作者のもくろみがうまくいったとかといえば、とてもそうは思えません。

この物語に登場する高校生たちは、確かに知的で大人びていて、特にカルチェラタンなる建物にたむろする彼らは、バンカラ風でまるで旧制高校の生徒たちのようです。 ひょっとして制作者は、旧制高校と昭和の新制高校の生徒を同一視しているのか?

しかし両者はまったく違う生き物です。

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昭和40年代~50年代、高校生などを主人公にすえた、学園ものまたは青春もののドラマが流行りました。しかし、その多くは部活に青春をかけたスポーツ選手が中心になっており、その後のスポーツ根性ドラマにつながりました。

一方で、スポーツ選手ではなかった高校生のドラマはほとんど語られませんでした。

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その点では、普通の高校生に光を当てた新しいドラマと言えます。

では、昔の高校生は、今よりも大人びていて、知的で、高尚だったのか?

これは率直に言って、YESだと私は思います。私自身、高校に入学した時、先輩・上級生が大人びていて、高尚な話し方をし、難しい文章をしたためているのに、驚愕した経験があります。 昭和40年代の話です。

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まず学校新聞に連載されていたのは、木村君の『非ポリーテースの系譜』という哲学コラム。これは難しくてさっぱり理解できませんでした。決して文章が難解な訳ではありませんが、中身が哲学的で恐ろしく難しかったのです。

⇒ 木村君はインド哲学を専攻し、今は駒澤大学の教授です。

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次に驚いたのは、先輩が編集した文集です。 名前は『曙光』で確か1年だけで終わったはずですが、寄稿されている文が全て格調高くかつ難解なのです。実にレベルが高い・・。 これなら、地方大学の紀要論文集としても通用するのではないか・・・?

⇒ 編集者は伝説の廣岡守穂氏、今マスコミに時々登場する中央大学教授です。

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「いやあ、高校生とは難しい文章を書く人たちだなあ。なんと大人びているのだ」と高校一年生の私は圧倒されました。 「自分も背伸びしてでも、なんとか格調高い文章を書かなくては・・」という思いは、一種のトラウマというか強迫観念になって、大人になってからの私をも縛りました。 その呪縛から解放されたのは、数年前にブログ「笑うオヒョウ」を書くようになってからです。

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そのような高校時代の思い出から考えると、バンカラで哲学を愛する高校生の登場には共感できる面もありますが、やはり内容が浅くてものたりません。

誰でも知っている箴言を落書きに書いたり、学校の理事長とディオゲネスの話をするあたり、ジブリらしい衒学志向が伺えます。

本当に哲学を考えているなら、あんなに単純で明るいキャラクターではないはず。

ディオゲネスの代わりに西田幾多郎あたりを取り上げた方が、観客を煙に巻けたはずなのに・・・。 オヒョウはかなり意地の悪い観客です。

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そう考えながら画面を見ていたら、黒板の隅に、「下の畑にいます(下ノ畑ニ居リマス)」という落書きが小さく書いてあるのを見つけました。 この全く哲学的とは言えない言葉は、読者諸兄ご承知の通り、宮沢賢治の羅須地人協会の玄関に書かれていた言葉です。

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そこに宮沢賢治を尊敬する宮崎駿のメッセージが込められています。スタジオジブリらしい衒学趣味とも言えますが、この言葉は私も大好きな言葉です。この言葉については、2つの観点から考えることができます。

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ひとつはサラリーマンの生き方です。

質店という家業を憎み、そして農学校の教員というサラリーマンを続けた宮沢は、いつか農民になることを夢見ていました。これは農業へのあこがれとか、隠遁して晴耕雨読の日々を送りたいという発想ではなく、むしろ非生産者であり続けることへの贖罪というか、後ろめたさからだと私は理解します。

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かつて、農業は厳しく辛い職業であり、かつ多くの農民は貧しかったのです。農学校の教え子達は、卒業した後、その厳しい職業に就くことを強いられました。一方で、俸給生活者として安定した生活を保証される自分は恵まれている・・という現実を宮沢賢治は受け入れられなかったのだと、私は思います。

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しかし、既に文学者として評価されていた宮沢賢治を、世間はほおっておきません。来訪者は跡を絶たず、彼を静かな農民にすることを許しませんでした。結果として、「下ノ畑ニ居リマス」という案内書きになった訳です。

この環境を理想視し、憧れる人は多いはずです。

職業を引退したら、静かな晴耕雨読の日々を送りたい。しかし、一方で人々から完全に忘れ去られるのは困る。何らかの知的な形で世間とつながり、たまにはお客さんも来て欲しい・・。

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以前の弊ブログ【俺たちの帰去来の辞】で、引退後に農村に帰る事を考える50代の男の気持ちを書きましたが、多分、陶淵明の時代から、平成のサラリーマンまで、思いは共通するはずです。そう言えば、総理を辞める時、鳩山由紀夫も農業をやりたいと言っていました。 もう本人はとっくに忘れたでしょうが・・。

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しかし、宮沢賢治の思想はかなり違います。前述の通り、彼は平穏と安逸を求めた訳ではなく、農業を苦役と考え、敢えてそれを自分に課すという厳しい思想に基いた行動です。それが彼の哲学であれば、その哲学は「下ノ畑ニ居リマス」というただ一言に表象されていると言えます。

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機械文明を否定し、農村こそ根本であり善であるという思想を持つ宮崎駿は、宮沢賢治に共鳴したのかも知れません。 しかし、繰り返しになりますが、農業を喜びであると同時に苦役であると考えた宮沢賢治の思想は、宮崎駿の思想ほど単純ではありません。そこに、スタジオジブリの衒学趣味の限界があります。

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ところで「下ノ畑ニ居リマス」の言葉には、もっと現実的というか下部構造的な問題があります。 それについては次号で申し上げます。


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