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【 戦争を知らない子供たち 】 [ベトナム]

【 戦争を知らない子供たち 】 

タンソニュット国際空港・・とは懐かしい名前です。昭和の子供だったオヒョウはベトナム戦争末期にテレビに映ったタンソニュット空港を覚えています。 サイゴンまで迫った解放勢力に囲まれて、国外に脱出する米国人や南ベトナム人が集まり、米軍の輸送機で離陸していったのがタンソニュット空港です。 

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そして、今そこに着陸すれば・・現代のベトナムを象徴するような風景があります。ベトナム戦争の名残というかモニュメントとして残る米軍の軍用機の残骸。鮮やかな黄色の南ベトナム航空の旅客機が格納庫に残っています。もちろん、今は飛ばないでしょうが。一方、民間空港としての新しいターミナルビルは日本のODAで建てられました。ドイモイ政策でそれなりに経済の活性化を図るも、やはり経済先進国の助けを借りなければ成立しない社会です。

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そして威張る公務員。 出入国管理官の尊大な態度は、この国が社会主義国家で警察国家であることを示します。 ベトナムでの日本人の評判はすこぶるいいのですが、それでも外国人です。 どこから見てもビジネスマンに見えるはずの私も含め、ビザ無しで訪れるのは短期滞在の旅行者ですから、当然帰りの航空券を持っているはずで、それを見せろ・・と要求してきます。

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昔なら、ノンカーボンの薄い紙を綴じた航空券の綴りや、硬い紙の航空券があったのですが、E-チケットの現代は、パソコンからプリントアウトした紙だけです。バーコードの付いたその紙を見せると、係官は「こんなものが航空券か?日本語で書いてあったら読めないじゃないか?」とへたくそな英語で無理難題を言います。「これしかない。ちゃんと帰りのフライトの期日が数字で書いてあるじゃないか」と言っても通じません。

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押し問答をした後、私の後ろを見れば、ずらっと順番待ちの列ができています。その光景を見て、仕方なしに係官は「通ってよし」と私を通します。

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外に出れば、あきらかに雲助タクシーと思しき白タクの群れと、客引き。そしてゼロの数が多すぎて目がくらむ紙幣をやりとりする超インフレの社会。この国は米国との戦争に本当に勝ったのか? 実態はかろうじて負けなかっただけで、社会インフラは破壊され、国家の復興に必要な若い人々はあまりに多く戦争で殺されたために、国家建設が他の東南アジア諸国に比べて大きく遅れてしまった・・ということです。

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そして、そのベトナムの経済を担っているのが、若い世代、つまり20代、30代の人達です。それはすなわち戦後に生まれた人達です。

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今から約40年前に「戦争を知らない子供たち」というフォークソングが流行りました。それを聞いた私の母は、無性に腹がたったと語ります。なんのかのと言っても、戦争を経験した世代は被害者です。その犠牲の上に平和を謳歌する戦後生まれの世代がいます。それなのに、「戦争を知らないというだけで、若いというだけで差別される・・」という被害者意識に近いものを訴えるその歌はけしからん・・という訳です。

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「戦争を知らない子供たち」を歌った、ベビーブーマー達はやがて日本社会の主役になり、政治・経済の面で主導権を握りましたが、彼らがリードした時代とは、日本の衰退を招く時代でした。1969年をピークに盛り上がった学生紛争は、過激な新左翼集団を生み、一方で日本の教育を荒廃させました。経済では拝金主義の極致のようなバブル経済を生み、それが弾けてからは、失われた20年という不景気の時代に突入し、世界の中での日本の存在を矮小化させていきました。 初等教育では「ゆとりの教育」が流行し、高校生段階での平均学力は先進国とは言えないレベルに下がりました。 かつて学力テストをすれば、日本の生徒はイスラエルと並んで世界のトップクラスだったのに・・。

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ベトナムの「戦争を知らない子供たち」は日本より30年遅れて登場しました。しかし、「ベトナムの戦争を知らない子供たち」は日本のそれとちょっと違うようです。髪の毛を伸ばしません。 学生は学園を破壊せず勉強にいそしみます。社会に染み付いた貧困の匂いは消すべくもなく、多くの人が勤勉に働きます。

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ベトナム料理のおいしい店を紹介してくれたJ君は今30歳、日本風に言えばフリーターですが、自分の人生計画も明確で、勉学と仕事に努力を惜しまぬ勤勉家です。大学では日本語を専攻しましたが、調べてみれば、中国語と韓国語の授業も無料で受けられると分かったので、それらもついでに勉強した・・・という具合で、多くの外国語を話します。 私オヒョウなどは、日本語ですら怪しいというのに・・・、彼の才能と努力は見上げたものです。 語学だけではありません。私が切り出す種々雑多な話題にちゃんとついて来ます。ドイモイ政策の長所と短所、ホーチミンの考え方、パリ・コンミューンの話、ニョクマムの話、ハロン湾の美しい風景・・・。どんな話題についても、自分の考えを明確に持っていて、的確に説明します。

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こんな人物がベトナムの「戦争を知らない子供たち」なら、おそるべきことだ。いや、ベトナムだけではありません。 アジア各国には、遅れてきた「戦争を知らない子供たち」がたくさんいます。中国では、戦争よりも愚かで悲惨だった文化大革命を知らない子供たちが、社会の中心になりつつあります。中東諸国では今でも紛争は続いていますが、第四次中東戦争を知らない世代が台頭しています。日本と違うのは、彼らは一様に勤勉で、楽観的で、上昇志向だということです。

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かつて昭和の時代、肥満漢の未来学者だったハーマン・カーンは「19世紀は英国の時代、20世紀は米国の時代、21世紀は日本の時代である」と日本を持ち上げました。残念ながら彼の予想は外れましたが、21世紀がアジアの時代になることは確実かも知れません。

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1960年代、アジア・アフリカに新興国が雨後の筍のように登場したとき、それらの低開発国もしくは開発途上国は、じゅっぱひとからげに、AA諸国と呼ばれました。しかし、それから50年経ち、アジアとアフリカでは大きな差がでました。アジアの戦争は長く続きましたが、その後のASEAN諸国を中心にした経済発展は目覚しく、アフリカに大きな差をつけています。その違いは何に由来するか? それは多分、アジアの「戦争を知らない子供たち」の奮闘です。

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長く経済が低迷し、地盤沈下を免れない米国を中心とした西欧諸国や日本。一方で活況を呈する東南アジア経済。 やはり戦争に勝ったのはアジア側だったのか?

英国のことわざに「戦いに於いて、力で相手を屈服させるのは、たかだか半分勝ったことにしかならない」という言葉があります。 では100%の勝利とは何時訪れるのか?ベトナムの場合、本当の勝利は、戦後生まれの「戦争を知らない子供たち」がもたらすのでしょう。それは経済に於いてアジアが西欧を凌駕する時です。

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「ベトナムが、ベトナム戦争に本当に勝利するのはこれからであり、君たちが勝ち取るのだろうね」とJ君に言おうとして、私は止めにしました。 その代わりに「戦争を知らない子供たち」という表現をどう思うか?と訊こうと考えましたが、それも止めにしました。

日本人が思うベトナム戦争とベトナム人が思うベトナム戦争の違いをもう少し勉強してからでも、その質問は遅くない・・と思ったからです。


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