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【 パリの大江健三郎 】 [フランス]

【 パリの大江健三郎 】

日本のことを貶す人が多くいても、それは別に構いません。民主主義であり自由主義ですから、いろんな意見があって当然だし、それを国内で主張するのも結構だと思います。

しかし、日本国内では批判めいたことを言わず、わざわざ外国に行って、ことさらに日本の悪口を言う人を見ると、やはり不愉快です。私などは、外国に行って日本を語る時は、なんとなく日本の代表になった気分で、日本を弁護します。

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外国に行って、自国を卑下する人は、日本人以外にもいますが、日本には特に多いように思われます。 とりわけ昨年の大震災と原発事故以降、外国で日本のことを悪しざまに言う人が増えている印象を持ちます。

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例えば、孫正義は、原発事故後早い時期に韓国へ行き「日本が(放射能漏出という)罪を犯した」といって謝罪し、一方で韓国の科学技術を褒めたたえています。

普通は、外国に対してその支援・応援に感謝すべきところですが、彼はそうではなく日本の犯罪を日本の代表になったがごとく、謝ったのです。

ところで、原発を推進する韓国は電気代が日本の半分です。それだけが理由ではありませんが、孫正義はソフトバンクの業務の相当量を韓国に移管しています。

http://www.wowkorea.jp/news/Korea/2011/0620/10085290.html

彼は露骨には言いませんが、韓国の原発はいい原発、日本の原発は悪い原発・・という明確な区別をしているようです。

そしてその後、韓国の原発で非常電源が途絶える事故がありましたが、彼はそれについてコメントをしません。

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もう一人、大好きなフランスに行って、日本を非難した人物がいます。

大江健三郎です。 彼は北朝鮮に憧れ、フランスに憧れ、そして日本を蛇蝎の如く嫌う男です。

天皇から授かるなど不愉快・・として文化勲章を断る一方、フランスのレジオン・ドヌール勲章は嬉々として貰い、ノーベル文学賞も受け取っています。

どうせなら、サルトルの様に、ノーベル賞も断るだけの気骨を見せればいいのに、それだけの根性もないようです。

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その彼が、日本では原発批判をしないくせに、パリで日本の原発政策を非難しています。

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120319-OYT1T00284.htm

世界一の原発大国はフランスです。 そのフランスの原発を批判せず、そして危なっかしさという点では日本よりはるかに問題の多い北朝鮮の原発に反対せず、日本の原発には反対しています。 不思議です。

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大江健三郎は、過去にも韓国に行って日本を非難したことがあります。 孫正義の場合と微妙に違うのは、二人の立場です。 孫正義の場合は日本人の立場から謝罪しています。 しかし、大江の場合、韓国人の立場・・もっと言えば非日本人の立場から日本を糾弾しています。 これは彼らの出自を考えれば不思議なことです。

在日韓国人の子である孫正義の方が、日本人である事を強く意識し、逆にもともと日本人である、大江の方が日本人であることを拒否しています。 実際、彼は自分が日本人であることがイヤでイヤで堪らないようです。

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孫正義と大江健三郎では立場が逆のようですが、孫正義の方が自分が日本人であると強く意識するのは分からないでもありません。

外国からの移民、あるいは帰化した人の方が、より強くその国籍に愛着を持ち、自己のアイデンティティに拘る・・ということはしばしばあります。 日系アメリカ人には、しばしば自分がアメリカ人である事を強く意識する人がいます。例えば第二次大戦での442部隊などはその例ですし、フィギュアスケートの選手だったクリスティン・ヤマグチは日系4世の自分は完全なアメリカ人なのに、日系という目で見られるのが不思議で仕方ない・・とインタビューに語っていました。

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最近、国籍を日本に変えて、日本人であることを特に強く意識しているのはドナルド・キーン氏かも知れませんが、孫正義もそれに近いのかも知れません。

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それはともかく、大江健三郎という作家は、私にはよくわかりません。

高校生の頃、友人達の間で流行った作家といえば、高橋和巳と大江健三郎、倉橋由美子・・といった人たちです。 その中で大江の作品は、短編小説では「死者の奢り」や「性的人間」など素晴らしいと思えるものが多かったのですが、長編になると、途中で理解不能になることが多かったのです。 「ピンチランナー調書」などは、最初は読めますが、途中で「てにをは」がずれてきたり、関係代名詞が何を指すかが不明になったりして、なんと文章力の低い作家だ!と溜息をつきたくなる存在だったのです。

(てにをはに、狂いがあるのは、「笑うオヒョウ」も同じですが・・・)

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一方で、小説のタイトルの名付け親としては随一です。 奇抜なネーミングで読者を惹きつける、名コピーライターです。 その点は、コラムニストの山本夏彦も褒めていました。 いずれにしても、大江健三郎がノーベル文学賞を受賞できたのは、優れた翻訳家のおかげだと思います。 あの難解(悪く言えば意味不明の悪文)を正確に翻訳できたのなら素晴らしい技術と言えますし、あの日本語の悪文の問題がなくなれば、彼の作品はさらに高い評価を得て当然だからです。

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ところで、脱線しますが、過去のノーベル文学賞の選考時の情報が暴露されました。

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120323-OYT1T00710.htm

安部公房が、あと少しで受賞できたのに、亡くなってしまった・・というエピソードには頷けます。たしかに彼はノーベル賞に一番近いところにいたはずです。 一方、これも有力候補だと思われた三島由紀夫はそれほど高い評価ではなかったようですね。 井上靖の作品は、三島ほど外国で紹介されていませんから、多分彼の評価はもっと低かったはずです

意外というかちょっと残念だったのは、私が、真のノーベル文学賞にふさわしいと思っていた遠藤周作の名前が無かったことです。

いずれにしても、安部公房が亡くなったから大江健三郎にノーベル賞が回ってきたという穿った見方が成り立ちます。

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話を元へ戻しますが、よそへ行って、自分の家の悪口を言うというのは、嫁の悪口を外で言いふらす意地悪姑に似ていて、あまり上品な行為とは言えません。顰蹙をかうべき行為です。 それなのに、日本人が外国で自国の悪口を言う行為は、進歩的文化人やマスコミの間で評価されます。 彼らはマゾなのか?それとも日本人ではないのか?

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いずれにしても、大江健三郎は、フランスへ行き、フランス人に向かって日本の非をならします。 でも本当にそうかな?と思ってTVを見ると、なんと彼はパリの書籍展の会場で日本語でスピーチをしています。 つまり彼はわざわざパリまで行って、そこから日本人に対して日本の悪口を言っているのです。 実に不思議です。

それとも彼はフランス語を話せないのか?

優等生ではなかったと聞いているけれど、一応、大江は東大仏文科のはずです。彼が原子力工学と沖縄戦史について無知なのは知っていたけれど、彼はフランス語にも暗いのか?

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私が、本当にノーベル文学賞にふさわしいと考える遠藤周作は東大卒ではありません。 でも彼はフランス人の聴衆の前でちゃんとフランス語でスピーチしていました。

パリにいる大江が、フランス人の前で、フランス語で、フランスの原発に反対する演説をすれば認めるのですが、そうでないのなら、これはなんとも滑稽な漫才です。


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コメント 4

yusai-zenji

オヒョウさん、引っ越し終わりましたか? まあ、私より大分慣れているのでしょうが。
大江さんは、前に言ったこともあると思いますが、私は羽田から小松の飛行機で前の座席に座っていたのを見たことがありました。訛りが抜けず、躁状態で若い編集者(?)に沢山しゃべっていてうるさかった。書いたものには、東大卒というプライドに溢れた側面が目につきますが、ああいう子供っぽくはしゃいでいる所を見ると、自分にかなり自身がないのかなあ?、という気もしました。

高校の時の岩波新書感想文みたいな冊子に、私は“ヒロシマノート”について書きましたが、自分の言説がもたらす社会的な影響とか、とにかくインタラクティヴなコミュニケーションにはあまり関心がない人だと思います。あの本でも、知り合いで尊軽できる病院長をひたすら称賛したり、思い込みも強すぎるかも。

ただ、彼の長編小説は戦後の日本のそれの中で、やはりダントツだとは思います。まあ、サルトルとかからはじまって必ず下敷きにしているものがあるのかもしれませんが、万延元年にしても同時代ゲームにしても。もっとも、彼が固執した“純文学”というカテゴリーが今は崩壊しているのかも。

それから蛇足ですが、別に外国でその国の言葉でスピーチしたから立派、という議論はちょっとどうなのかなあ?、という気もします。

by yusai-zenji (2012-03-28 11:42) 

笑うオヒョウ

Yusai-zenji様 コメントありがとうございます。
パリ在住のKさんという人から聞いたことがあります。日本の大学の仏文科には2種類あると・・。一つは、原文を翻訳しながら学ぶもの。もう一つは、翻訳された日本語版の小説をたくさん読んで分析するもの。脱線しますが堀口大學のゼミなら当然前者でしょうね。大江健三郎が学んだのは後者の方だったのか・・・?
別に外国語でスピーチしたから偉いなどとは思いませんが、今回の場合、私は大江が誰に向かって語りかけているのかを知りたかったのです。フランス語のスピーチならフランス人に、日本語のスピーチなら日本人に語りかけているに違いない。そしてもし後者なら、なぜパリで発言するのか・・謎です・・と申し上げたかった次第です。
次のコメントをお待ちします。

by 笑うオヒョウ (2012-03-28 14:36) 

yusai-zenji

すいません、もう一言だけ。どうも、こういう書き込みが苦手なんで.... 先の書き込み最後の外国語云々は蛇足なので、無視してください。

大江さんは、見た感じ通り、政治的エッセー(含むヒロシマ・ノート他)も、政治的発言も問題外。それはそれで良いと思います。

で、そういった政治信条と完全に切れている訳ではないにしても、小説はダントツだろう、というのが私見であり、私の言いたかった所です。明治大正期の作家(含む志賀とか)、戦後~現代の他の邦人作家と比べても、もちろん色々な考え方はあるだろうけれど他に並ぶ人はいないでしょう。ノーベル賞云々は別にして。
by yusai-zenji (2012-03-28 15:28) 

笑うオヒョウ

Yusai-zenji様 コメントありがとうございます。
大江健三郎についてですが、
確かに、万延元年のフットボール、ピンチランナー調書、洪水はわが魂に及び、といった長編小説、死者の奢り、性的人間、等の短編小説は出色であると思います。作家としての偉大さは認めざるを得ません。しかし、それらの作品でも、文章の意味を正確に解釈できない部分などは、読者に対して無礼な書き方とも言え、全く評価できません。まあ、推敲もせずに文章をしたため、書きなぐったまま読みかえざすに、アップロードしてしまう私も他人のことは言えませんが・・。
しかも彼の政治的発言には誤謬に基づいたものが多く、物書きとしての真摯さに欠けるのではないか?とも思います。
20世紀後半の日本の新左翼の活動を考えた場合、彼らの精神的支柱になった作家は多くいますが、大江の場合は逆に過激派などの新左翼の活動を肯定しそれに迎合する姿勢でした。
それが高橋和巳との違いかも・・と私は思います。
ですから・・、私の好みで言えば、なぜ吉本隆明が死に、大江が生きているのか? というぐらいの感覚です。

本件、また別の雑文に書くべきか・・。またのコメントをお待ちします。

by 笑うオヒョウ (2012-03-28 16:57) 

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