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【 ポツダム宣言受諾と無条件降伏の矛盾 その1 】 [政治]

【 ポツダム宣言受諾と無条件降伏の矛盾 その1 】

815日になると、いつも思うことがあります。学校の教科書に書いてあった、無条件降伏とは何の事だろうか?と。第二次世界大戦 或いは、太平洋戦争は、日本のポツダム宣言受諾で終結しました。その後も千島列島や旧満州ではソ連軍との戦闘が続きましたが、一般的にはポツダム宣言受諾を宣言し、大半の戦闘が終了した815日が終戦記念日となっています。

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しかし、教科書にはなぜか無条件降伏となっています。ポツダム宣言には戦後の日本の立場が明確に記されており、この受諾は決して無条件ではありません。有条件降伏というべきです。これはいかなることか?この矛盾点を学校の先生に問いただしても、明確な回答は得られません。

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後に、他の文献で確認したところ、日本史の教科書で、無条件降伏と言わず「ポツダム宣言を受諾して降伏した」と明確に書いていたのは、意外にも、あの家永三郎教授の教科書だけだったそうです。東京教育大(当時)の教授だった家永氏の教科書には、300箇所近い誤謬があり、教科書検定で不合格となり、裁判になった事はよく知られています。

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その家永教科書だけが、正確に記述しているというのはちょっと皮肉です。他の教科書には「ポツダム宣言を受諾して無条件降伏した」という趣旨が自家撞着したような記述さえあります。 これはいったいどういう事か?もし政府がポツダム宣言を重視せず、無条件の降伏だと強調するなら、矛盾点が多くでてきます。 815日は多くの点でポツダム宣言と結びついています。

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1.無条件降伏とするなら、終戦記念日は、ポツダム宣言受諾の日ではなく、ミズーリ号艦上での降伏調印式の日か、ソビエトの国後島侵攻が完了した日になるはずです。

2.朝鮮半島と台湾が、日本から分離・独立した根拠はポツダム宣言であり、韓国では815日が光復節になっています。 無条件降伏ではその根拠がなくなります。 

3.815日の玉音放送は、ポツダム宣言受諾に明確に言及しており、無条件降伏とするなら、玉音放送を終戦の象徴的な手続きとすることは矛盾します。

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では無条件降伏という考え方はどこから出てきたのか?ポツダム宣言を軽視する事は誰にとって都合がいいのか?

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第二次大戦のもうひとつの敗戦国ドイツは、首都ベルリンが陥落し、ヒトラーが自殺した後に降伏しています。 まさに無条件降伏です。その全く事情の異なるドイツと日本を同一視させたい人とは、どういう事情を持つ人でしょうか?

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当初、戦勝国/占領軍は、日本人が自尊心を失い、より従順になるようにと、条件付きの終戦ではなく、無条件の降伏だったと思い込ませる為、あえてポツダム宣言という表現を隠し、無条件降伏としたのかも知れません。 しかし、それだけではなさそうです。

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1. ポツダム宣言を重視すれば815日以降のソ連の侵攻と戦闘の正当性がより問題となります。また、ポツダム宣言は、日本の領土を主要な四島とその周辺の島嶼と規定し、これは北方領土四島を含むと解釈されます。 815日以降に占領した北方四島の帰属をあまり議論したくない人がポツダム宣言を軽視したのかも知れません。

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多くの交戦国とは、その後のサンフランシスコ講和会議でより明確な終戦処理がなされ、ポツダム宣言は意味を失いましたが、ソ連は講和会議をボイコットしています。 その後、鳩山一郎が日本とソ連の国交を回復しましたが、領土問題など未決着の事柄が多く残っています。親ソ連派、親ロシア派の人は、なるべくポツダム宣言に触れたくないというところでしょう。

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2. より大きな問題なのは、ポツダム宣言が発表されてから、受託するまでの日本政府の遅疑逡巡でしょう。 もはや全く勝ち目がない状況下で連合国側から終戦の提案があったにもかかわらず、日本は御前会議での上御一人の言葉を待たなくては判断できなかったのです。

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ポツダム宣言が発表されたのは昭和20年の726日です。それから受諾するまで3週間も無駄にしています。これでは夏休みの前半を遊び呆けて宿題をしなかった子供の頃のオヒョウ以下です。その3週間の間に2発の原爆が投下され、他にも日本国内の多くの都市が空襲され、満州や樺太、千島では戦闘が始まり、多くの犠牲者が出ました。 決して短くない3週間の間に100万人近い人々の命が失われたのです。

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その責任を追求されたくない当時の日本政府は、ポツダム宣言にはあまり触れたくなかったのかも知れません。実に姑息な事です。

以下 次号


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上野まり子

こんにちは 上野まり子です。

先日8月15日が終戦記念日なのは日本だけという報道を見て
自分の見識の低さに愕然としました。
戦争実世代からは離れていますが、当然の様に8月15日=終戦と思っておりました。勿論当時の軍部の人たちの行動やその他を取り上げた読み物を読んではおりましたが、偏っていたようです。
現代になって見つかった軍部の人物達の<反省会>なるもののテープの存在やそれをドラマ化したものなど、終戦から65年、もういちど検証される点が多々出てきたようです。
語り継がれなければならないのは<原爆投下>だけではないのです。
いや、その様な報道はされてきたが、私のアンテナがそちらに向いていなかったのかもしれません。

またお邪魔します。

by 上野まり子 (2010-08-20 12:28) 

笑うオヒョウ

上野まり子様 コメントありがとうございます。

8月15日の意味は何だろうか?と私も考えることがあります。おそらく戦争が終わった日というより、日本人(昭和天皇を含む)が戦争をあきらめ、降伏を受け入れた日だと思います。その日から平和主義とか民主主義、自由主義が復活し始めた日である・・と思います。
8月15日だけが終戦の日でない・・というのは、池上彰氏が解説したTVの教養番組で紹介されたようですね(私は見られませんでした)。

昔の海軍の参謀本部の人たちが、過去を語ったテープの話は、私もTVで見ました。
当時の軍隊を動かしていたエリートたちのことだから、さぞかし高いレベルの議論をして、最善の作戦をたてていたのかな?と思っていたらそうではありませんでした。
考え方もずさんでいい加減な仕事をしていたこと、一枚岩かと思われた組織内でもいろいろな意見の違いや反目があったこと、誰も責任を取らず、口をつぐんでいる様子などを知ると、私はがっかりすると同時にさびしい思いがし、そして反面、ちょっとホッとしたような気持ちになりました。 

自分ながら不可解な感情ですが、彼らも平凡な人間だったのだな・・と分かったからでしょうか?

またのコメントをお待ちします。

by 笑うオヒョウ (2010-08-20 13:09) 

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