【 飯山小菅神社の火祭 その4 】 [長野県]
【 飯山小菅神社の火祭 その4 】
千曲川のほとりから、県境の山脈を越えると、あとは日本海へ向かって、緩い下り坂が続きます。 本当なら自動車ではなく自転車に適した道路です。 その道を下りながら、考えました。
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私の勝手な考えですが、言語であれ文化であれ、オリジナルのものは中央ではなく辺境に残る・・・という現象があるようです。 中国語だって、もともとの漢字は、台湾や香港に残っていて、大陸中国の漢字は簡体字になってしまいました。 仏教の経典もインドにオリジナルはなく、チベットにそれに近いものがあるはずと河口慧海は考えました。 日本の美術品だって、海外に保存されている例が多くあります。
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だからお祭りについても、東京や京都のお祭りではなく、地方の鄙びた集落のお祭りを調査すれば、昔の様子が分かるのではないか?
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しかし、今回、妙高の祭りと飯山の祭りを見て驚きました。 両方とも、前回時と比べて、かなり変化しているようです。ということは、大昔のお祭りの様式は、回数を重ねるごとに薄らいでいき、今はもう残っていないかも知れません。 参加者が少なく、人々の記憶に限界がある地方のお祭りでは伝統を引き継ぐということは困難なのかも知れません。
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今回、飯山小菅神社のお祭りで披露されなかったパフォーマンスが3年後の次回に、復活する可能性は半分以下でしょう。 あとを継ぐ人がおらず、多くの人々が覚えていないかも知れないし、観客がそれを欲しなくなっている可能性があります。電波メディアなどを通じて、他にも面白い娯楽や芸能があるから、何もお祭りに期待しなくてもいいよ・・ということになるからです。
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そうなると、人が少ない辺境ほど逆に変化は激しく、オリジナルは残らない・・という事になり、自説を修正せねばなりません。
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実は、生物の世界では、個体数が少ないほど、突然変異や進化の速度が速くなるという現象があります。近親交配で変異の発生頻度がますなどの理由によるもので、ガラパゴス諸島がまさにその例です。日本のお祭りや伝統行事もそうなるのか? これは由々しき問題ですが、誰も言及しません。
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日本の伝統文化の継承を、ガラパゴス島の生物進化で例えるのは、いささか突飛ですが、人間にとっての祭りとは何か・・を、もう少し考えます。
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オヒョウはお祭りを単なる宗教儀式だとは思いません。無論、宗教的な背景は、最も大きな部分で無視はできませんが、近代的な宗教が日本に出現する前からお祭りはあったはずです。その目的は、
1.配偶者を求める集団見合いの場であった。
2.祖先を敬い、死者をおそれ弔う場であった。
3.過酷な労働の対価として、あるいは休息・気分転換の楽しみとして祭りが存在した。
4.無病息災、豊作、平和、子孫の繁栄を願う場であった。
5.離散した家族・親戚が一同に会し、クランまたはゲマインシャフトの一員としてのアイデンティティを再確認する機会であった。
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多分、民族・宗教の違いにかかわらず、どの国のお祭りにも上記の5要素があるとオヒョウは考えます。かつて盆踊りが、一種の集団お見合いの場でもあったように、お祭りは出会いの場です。 またお祭りは、日々の苦役である労働から、人々が解放され娯楽を楽しめる日でもあったわけです。 ヒトが進化し日々の労働をする動物になってから、気分転換を必要とするようになり、お祭りができたのかも知れません。
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労働が過酷で、単調な日々を強いられる人々にこそ、お祭りは必要である・・と、オヒョウは考えます。そう考えると現代社会ではお祭りの必要性はなくなりつつあるのかも知れません。地方では人々の高齢化や、若年層の人口減が進み、それが将来お祭りの存続を困難にするであろうと言われていますが、それ以前にお祭りに人々が魅力を感じなくなる事が問題です。
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研究対象、あるいは好奇心の対象としてお祭りを眺める人は増えても、主体的にお祭りに参加する人がいなくなれば、伝統は消滅します。多分、飯山でも妙高関山でも同じだと私は考えます。
上の2個は、関山のお祭り、下の2個は飯山小菅神社のお祭りです。
たしかに妙高の祭りは、一部の次第が省略されたりしていましたが、小菅の方は、6年前(3年前は見ていないので)とそんなに変わっていませんでした。その辺の、私の説明がまずかったのでしょうか?
私見では、地方の祭礼が変化するもしくはしない理由として、2つあります。一つは、文化財指定です。妙高は市の文化財、小菅は県の文化財(一説に、周辺の祭りと併せて国指定とも)です。文化財に指定されたことにより、旧来からの形態を護持しようとする志向が生まれます。私の経験では、市とか県の無形民俗文化財レベルの祭礼は、けっこう細部が変化します。
もう一つは、やはり観光化でしょう。多くの観客が来ることで、演者が“受け”を狙ったりするようになります。小菅の祭りを全国に紹介したのは、和歌森太郎という民俗学者の1965年の論文でした。そこに載っている写真では(今、手元にないので記憶によりますが)、観客はきわめて少なかったはずです。ただ、この辺は都市の祭礼では一般的すぎる現象でしょう。
(私信の追伸)本は先ほど、ご指示通りご実家にお送りしました。
by Dr.Y. (2010-08-09 16:55)
Dr.Y様 コメントありがとうございます。
和歌森太郎氏は、たしか東京教育大学の教授だった先生ですね。高田の古本屋の親父が、和歌森太郎さんは教育大の先生・・と言った時、高田ではふつう教育大と言えば上越教育大学を指すのに、この人は30年以上前に無くなった東京教育大学の事を教育大と言う・・・という事で、記憶にひっかかっています。 そうですか、小菅神社の祭礼は彼が紹介したのですか・・。しかし、あの日、あの時、暑い中を集まった人たち全部が、和歌森氏の論文を読んでいた訳でもないでしょうね。
それから、文化財指定と観光化の件、なるほど・・と思いました。
このブログにいただくコメントを読むたびに、毎回なるほど・・と思い、眼からウロコが落ち、勉強させていただいています。
次回のコメントをお待ちします。
by 笑うオヒョウ (2010-08-09 17:18)