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【 飯山小菅神社の火祭 その1 】 [長野県]

【 飯山小菅神社の火祭 その1 】

 7/17、前日の関山に続き、Y博士とオヒョウは、飯山にある小菅神社の柱松柴灯神事(火祭り)を見に行きました。 Y博士は過去に何度か見ており、勝手を知っていますが、私は初めてです。 このお祭りがどういうスケジュールで行われるか・・・まるで知らないのです。

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上越から飯山までは、一本道があります。上越から妙高へと、上り坂を走って、県境の分水嶺に至り、斑尾高原を右に見て、峠の山道を下れば、そこは飯山です。千曲川を渡って、再び上り坂になると、小菅神社の社殿が点在しだします。

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ここはもともと、真言宗のお寺でしたが、明治の廃仏毀釈の為に、神社に転向したのだそうです。 Y博士によれば、古い縁起を読むと、真言宗の前は天台宗の寺院だったとの事。 それなら前日訪れた、関山神社と同じです。 護摩堂には、八所権現と書いた額があります。

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小菅神社の式年大祭(つまり火祭り)は、3年置きに行われます。なぜ3年置きかといえば・・・お祭りを行うには多額の費用がかかるので、毎年の開催は難しい・との事。 歴史のある大きな神社ですが、氏子の数はそんなに多い訳ではないでしょう。ですから、大きなお祭りの実行は確かに負担です。

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神社なら氏子がいます。ではその前のお寺だった頃、檀家はいたのか? Y博士によれば、檀家はなかったはず・・との事。 では修験者や僧侶はどうやって暮らしていたのか?

「それは、カスミに頼っていたのだろう・・」とY博士

「えっ?仙人ではあるまいし、霞を食べて生きて行けるのかい?」

「いや、この場合のカスミとは修験者を支える一種のパトロンの事だよ」

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それはともかく、3年おきであるためか、前回と比べて、手順や内容に微妙な変化があります。毎年開いていれば、その変化を奇異に思う人もいるでしょうが、3年間隔だとそうでもありません。主催者側のリハーサルが不完全な為か、行事進行にいきあたりばったりの点もあります。県指定の無形文化財なのに、毎回内容が変化していっては困るのですが・・。

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伊勢の皇大神宮の式年遷宮も20年間隔なのは、それ以上間があくと、語り部となるべき前回の経験者が少なくなり、伝統が完全には引き継がれないからだとか・・・。 ・・・・・・

それと、このお祭りのもう一つの特徴は、スケジュールが非常に間延びしているというか冗長だという事です。一つの催しを終えたら、次のイベントまで1時間以上待たせる上、さらにその予定すら遅れ気味です。

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炎天下の中、坂道を行列したり、特に重いお神輿を担いだ人達には、それなりに休息が必要なのは当然ですが、またされる観客は時間つぶしに困ります。

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朝、9時過ぎに、中腹の大聖院跡である護摩堂に付くと、朝の行事である禊は終了していました。 禊を終え、浴衣を着た若い男性が、火を燃やした中から消し炭のような物を拾っています。

MISOGI01.JPG
「これなんかいいんじゃない」と、つまみ上げると、神主が、なにやら大切そうに、それらを2つの木箱に納め、白い紙で包みます。「あれは何に使うの?」「あとで火柱に点火する時のホダ木にするみたいだね」その後で、建物の中で祝詞をあげて、行列が繰り出します。 周囲を取り囲むのはカメラの砲列です。

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なぜかカメラはCanonの一眼レフのデジカメが多く、NikonPentaxは稀です。そして、よく見れば人だかりは祭礼に興味を持つ郷土史家や、研究者が主体です。 S大学の先生や学生、大学院生も多く見られます。Y博士の同業の方々です。

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しかし、これは困った事です。研究者は、研究対象である祭礼に興味を持っていますが、主体的に参加する当事者ではありません。 あくまで傍観者です。 遠路見物に来た観光客であるオヒョウも同様です。 そしてお祭りを維持するには、傍観者ではなく主体的に参加する人が必要なのです。過疎化が進行する農村部で、祭の担い手が今後減っていく事は、さびしいことです。 

無論、小菅神社だけの問題ではなく、上越高田のお祭りでも大人用のお神輿は担ぎ手がなく、なんと軽四輪の荷台に乗せて、動かしていました。

MIKO01.JPG

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行列は、坂を下り、里宮に入り、そこで宮司のお祓いを受けます。

午前中の主な行事はそれで終わりで、その後は午後1時からとの事。

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それならば、一足先に昼食を・・と我々は、護摩堂から遠くない浅葉野庵で少し早い昼食をとりました。

やはり長野県は、そばがおいしいのです。三度三度おそばを食べても飽きないかも知れない・・・。 

soba01.JPG

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しかし、昼食を食べ終わっても、午後のお祭りは始まりません。Y博士は、講堂の上にある資料館の方に行ってしまいましたが、オヒョウは講堂の中で静かに座って時間の過ぎるのを待ちます。

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外は炎天下でも、江戸時代のお堂の中は涼しい・・かと思えばやっぱり暑いのです。阿弥陀如来の仏像の右上には神棚があるという奇妙な空間で、遠くに蝉の声も聞こえます。 ちょっとうとうととしかけたところで、突然、背後から大音声が聞こえました。山伏がなんと般若心経を唱え始めたのです。唱和する訳にもいかず、坐禅をしたまま、オヒョウはお経を聴き続けました。 なんとなく 「叩かれて、昼の蚊をはく木魚かな」 という漱石の俳句を思い出しました。なんの脈絡もないことですが・・・。

午後1時からの、お神輿をかつぎ出す催しは、なかなか始まりません。 

以下 次号


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コメント 2

Dr.Y.

過日はいろいろとお世話になりました。たしかに、ご指摘の通り、スケジュールがスカスカな祭りでしたね。また、妙高の関山神社の祭礼もですが、演じているのが全くの素人なので、人によっては演技が物足りない場合もあったかと。
私は、オヒョウさんが講堂にいた時、資料館で当地教育委員会のMさんと再会して、この祭りについて助言をいただいたのが、大きなポイントでした。以前、この祭りを一緒に見るように誘ってくれた知人が、小菅神社の近世の別当であった大聖院は、上杉景勝と共に米沢に行って今は廃寺らしい、と断言していたので、彼と一緒に祭りを見た2001年度以来、ずっとそう思い込んでいたのですが、Mさんは“大聖院は存在しますよ”と教えてくれたのです。
で、しばらくはMさんのアドバイスに基づいて、米沢での大聖院について調べてみようと思っています。
by Dr.Y. (2010-07-29 09:26) 

笑うオヒョウ

Dr.Y様 コメントありがとうございます。

小菅神社の記事は数回に分けて記載する予定ですので、誤謬等があれば ぜひご指摘いただきたくお願いします。
秋になったら、伊勢や吉野・熊野、尾張のお寺にでかけませんか?

つぎのコメントをお待ちします。
by 笑うオヒョウ (2010-07-29 23:16) 

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