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【 人間 山本五十六 その1 】 [新潟県]

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【 人間 山本五十六 その1 】

匿名さんのお薦めにより、反町栄一氏の著作「人間・山本五十六」を図書館で借り、先ごろ読了しました。初版は昭和20年代の本で、買い求める事は困難ですが、昭和39年版のものが、市内の図書館では郷土史のコーナーに置いてあります。 長岡出身者に関する書籍が上越市の郷土史の資料に該当するか?という質問はさておき、山本五十六を研究する上では、貴重な資料と言えます。 読み終えると同時に、よい本を紹介していただいた・・と感謝の念を持った次第です。

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なにより、著者が直接五十六本人の謦咳に接し、その薫陶を受けた人物であり、登場するエピソードの多くが伝聞ではなく、著者が経験したり確認した事実であるのがすばらしいと言えます。

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「そうか、昭和期の人物であれば、直接会った人の記録や記憶があるから、信ぴょう性が極めて高い文献を作成できる・・・。これが明治期だとこうはいかない。直接会った人が皆他界しているので、エピソードが伝聞になる。従って、そこにフィクションの入る余地があり、作者の思想が入ってしまう・・・。」

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山本五十六は、厳密には昭和期の人というより、明治・大正期の人物と言うべきかも知れませんが、まだ彼を知る人が多く存命です。 司馬遼太郎などは、幕末・維新・明治期を背景にした作品を多く書きましたが、この時代となると、本人を知る人から直接インタビューする事は困難です。だから、彼の作品の多くは小説になるしかありませんでした。 もっともそれでよかったとも言えますが・・・。

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無論、この反町氏の文献にも問題は多くあります。

1.     複数の人から聴取したため、同じエピソードや記述が重複して登場します。 これは、そのエピソードの信ぴょう性を確保する上ではいいことですが、本の構成としては難があります。

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2. 証言した人が、全員、山本五十六ファンであり、当然ながら褒めるべき話や、いい話しか登場しません。贔屓の引き倒しになりかねません。人物像を語る文献では、褒める話7割り、貶す話3割の比率が適当であるとオヒョウは考えます。 その方が中立的な評価ができ、人物像の彫りが深くなります。

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3. 資料文献としてみた場合、記述方法に曖昧さがあります。発言内容に対して、主語が省略され、山本五十六本人が話したのか、周囲の人物が話したのか、それとも著者の意見なのか、判然としない箇所が一部にあります。

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4. 若干、不正確な記述があります。例えば、女子高等師範(現、お茶の水大学)と書くべきところを、単に高等師範(現、筑波大学)と書いています。

或いは、五十六の実兄の死に際して「あるたけの花投げ入れよ棺の中」という俳句が登場しますが、誰が詠んだものか書いてありません。 五十六本人か?或いは著者か? そして困惑することに、それとそっくりの俳句をオヒョウは知っているのです。夏目漱石が、初恋の人である大塚楠緒子が亡くなった時、それを悼む句として「有る程の菊抛げ入れよ棺の中」と詠んでいます。

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時代的には漱石の句の方がかなり昔です。漱石の俳句は友人正岡子規に教えられたものですが、独自の趣があり、他の人の俳句とは全く違います。 どうみても、五十六が上記の句を作ったとは思えないのですが・・・。

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欠点をあげつらうのは本意ではありません。オヒョウはこの本に書かれた五十六の人格の魅力について書きたいと思います。

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多くの偉人伝を読む時、読者は主人公と自分に共通した部分と、共通しない部分を見出し、敏感に気づきます。前者については親しみを感じ、後者については畏敬の念を強めます。ひとつひとつのエピソードについて書くときりがありませんが、一部を書きます。

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オヒョウの場合、ニヤリと笑いたくなったのは、やはり五十六の海外駐在時代のエピソードです。

「三食きちんと摂る必要などない」とか「外国語の習得は、最初の短期間に集中して努力しなければ駄目だ。 その機会を逃すと、その後だらだらやっても身につかぬ」という彼の意見には全く同感で、オヒョウにも経験のあるところです。

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また、この本には、彼が人情家で、同輩や後輩思いの人格者であった事を示すエピソードが再三登場します。殉職した部下の氏名を手帳に書いて肌身はなさなかったとか、郷里の後輩の就職に奔走したとか、苦学する少年の身の上を聞いて涙していたとか、リストラされた親友堀悌吉を思って憤慨した・・という話です。

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日本では思いやりのあるリーダーが最も慕われます。そして目下の者を慈しむ人物は、尊敬されます。彼はその条件を満たしています。そして、彼の人生観を示す記述も、ところどころに登場します。その多くは人口に膾炙したものですが、それらが後世に作られたものではなく、実際に彼が発言したり、書き記したものである事を確認するだけでも一定の価値があります。

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彼は詩作に優れ、能書家で、文学の教養にも富んでいましたが、その教養を端的に示すものとして、ある歌人が詠んだ「乃木将軍を稍々口悪く、素っ気なく描けば そこに山本がいる」という言葉は実に妙です。

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しかし実際には、山本五十六の軍人としての才能は、乃木希典にはるかに優っていたはずです。彼に限らず、明治時代に教育を受けた教養人は、すべからく漢籍を読み、英語を理解した訳ですが、その中で山本五十六個有の部分とは何か、或いは、他の人々と共通の部分は何か、次号で検討したいと思います。


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守谷勇一

短歌や俳句は、誰でも先人の形式を学んで作っているものではないでしょうか?
山本さんも御製短歌集などを持っていたそうですから、いろいろなものを参考にしたでしょう、当然のこと。
何とかして誰かを貶したいという人はどこにもいるものですね。
by 守谷勇一 (2016-11-07 03:47) 

笑うオヒョウ

守屋勇一様

コメントありがとうございます。ご指摘の点、よく理解いたします。比べるのもおこがましいのですが、私も詩作の真似事をする際、意識して、或いは無意識で「本歌取り」をすることがあります。前者についてはパロディとしてですが。しかし、「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」は、あまりにそのままなので、ちょっとどうか・・と。なお、本文中に書いておりませんが、江田島の教育参考館に行きますと、歴代の提督の書が多く残されています。明治の初めから時代が下るに従って、書の迫力が無くなっていくように思われるのですが、五十六の書は見事です。彼の人物を示していると思います。彼の人物像を総括的に語ることは難しいのでしょうが、阿川弘之が「井上成美」で、井上が山本五十六を高く評価するも、100%褒め称える訳ではないことを書いています。山本五十六も人間ですから、その辺りの評価が一番妥当なのでは?と思います。

このブログでは辛口のご批判を最も歓迎いたします。さらに厳しいコメントをお待ちします。

by 笑うオヒョウ (2016-11-07 07:23) 

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