【 石下町の思い出 その2 】 [茨城県]
【 石下町の思い出 その2 】
長塚節の「土」には主人公の小作農が近所の農家が収穫したトウモロコシを盗む場面があります。そしてその場面は象徴的だと母は言います。
「 本来、助けあって暮らす共同体である農村で、隣の芝生が青く見える様な、羨望や妬みの感情を持つとすれば、その背景として極限まで追い込まれた貧困を考えなくてはならない。 それに農作物とは、本来金銭的な価値は乏しく、窃盗の対象にはなりにくい。それにもかかわらずトウモロコシを盗むという事が、貧困を象徴している」
さらに母は続けます。
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トウモロコシの窃盗は咎められますが、寛大な処置がくだされます。この小説には典型的な悪人などでてきません。地主は搾取する存在として登場しますが、決してあこぎな存在ではなく、思いやりのある人物として描かれます。
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これがもし、その後に登場するプロレタリア文学なら、単純な構図になり、搾取する極悪非道の地主階級と、搾取される正義の小作人達が対立するという平板なストーリーになります。 革命前夜を舞台にしたロシア文学にも似た作品がありますが、それよりさらに幼稚な作品になったでしょう。
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母の理解では、明治期、あるいは戦前の農村とは、長塚節が写実的に描いた世界に近かったのではないか・・との事です。決して地主は悪人ばかりではなく、小作人も被害者意識の塊ではなかったと・・・。しかしそれでも、厳しい貧困が不幸をもたらしているという現実は無視できない・・。これが「土」の特徴であると母は言います。
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長塚節は歌人としては正岡子規の直系の弟子という事になりますが、朝日新聞に連載小説を載せた時は、夏目漱石から絶賛されています。「この様な小説を大切にしなければならない」と語ったそうです。裕福な知識階級である”高等遊民”の生活や苦悩を主に描いた夏目漱石は”余裕派”と呼ばれますが、まるで正反対の長塚節の小説を評価していたとは・・ちょっと意外です。
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母に言われて周囲を見渡しましたが、結局トウモロコシ畑は見つかりませんでした。長塚節が暮らした風景は、その生家と鬼怒川の流れを除いて様変わりしています。すでに農村の悲惨は現代になく、石下町も名前が変わってなくなりました。 しかし、オヒョウには引っかかる事があるのです。
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新聞を読むと、近年、農作物の盗難がニュースになっています。ある時は、新米の米袋であったり、収穫直前の果樹だったりしますが、従来は農作物を大々的に盗む・・という事は、あまりなかった様に記憶します。 石下町がなくなっても、人々の貧困はまだ残っているのかも知れない・・とオヒョウは思います。
今晩は。
「土」は当時の女学生に不人気で朝日は困ったそうですね。
今「方言」の格好の資料だそうです。
by 夏炉冬扇 (2010-05-06 18:42)
夏炉冬扇様 コメントありがとうございます。
確かに「土」は暗い小説ですから、今も昔も女学生には受けないでしょうね。
でも、当時の朝日新聞が、新聞小説の読者として、女学生を重視していたとは知りませんでした。 私の父方の先祖は、代々百姓ですが、祖母の代まで、新聞は男性が読むものだったと聞いています。
そのあたり、また雑文に書こうかと思っております。
またのコメントをお待ちします。
by 笑うオヒョウ (2010-05-07 12:30)