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【 石下町の思い出 その1 】 [茨城県]

【 石下町の思い出 その1 】 

最近気付いたのですが、茨城県結城郡の石下町という地名が無くなっていました。オヒョウが茨城県を離れている間に、水海道市と合併して常総市にしまったのです。 そして石下町にはちょっとした思い出があります。

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今から30年近く前、学校を出て茨城県に就職したオヒョウは、中古のポンコツ車を買いました。ドライブ自体がとても面白かったのと、初めて暮らす茨城県がどんな土地なのかを知りたかったので、ある休日に愛車をひたすら西に走らせました。 なぜなら私が暮らす鹿嶋は茨城県の最東端にあり、県の大きさを知るには、ひたすら西に走るのが適当だったのです。

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霞ヶ浦を右に見て西進し、筑波学園都市の近代的な都市景観を過ぎると、新治、結城ののどかな農村風景が広がります。その辺りは、戦前の古き農村風景を色濃く残しています。やがて石下町に到達し、鬼怒川を渡ると「長塚節生誕の地」という看板が現れました。彼の生家の位置を確認して帰路につきました。

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その数年後、国内留学でつくばの研究所に派遣された兄を訪ねて、私は金沢の母とつくばを訪問しました。その時、母が長塚節の「土」のファンである事を思い出して、私はつくばの帰路に石下町に寄りました。

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長塚節の生家は、その土地の豪農だったとされ、今の大きな家が残っています。母は、門をくぐるとスタスタと玄関ではなく縁側に行き、驚くオヒョウを後目に「ごめんください」と声をかけました。応対に現れた初老の上品な婦人に、ずけずけと母は、「 私は長年、長塚節の「土」のファンであり、一度この土地を訪れたかった。 偶然、息子達が茨城県に住む事になり、いい機会なので、お伺いした次第です。突然の非礼をお許しください」と語りました。婦人の方は手慣れた様子で「そうですか・・」と快く応じ、縁先ながらお茶を出して、雑談に応じてくれました。

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長塚家を辞すると、すぐそばに鬼怒川が流れています。母と鬼怒川のほとりまでいくと、不思議な事を言い出します。

「 この辺りは、結城紬が有名だし、養蚕が盛んな土地だったはず。鬼怒川とは、おそらくこの土地で取れる生糸にちなんで、絹川、または衣川だったのが、何らかの理由で鬼が怒るという、恐ろしい名前になったのだろうが、それはなぜか?」

「推測するに、この川は暴れ川で過去に氾濫を何度も起こしたから、恐ろしい川という事で鬼が怒るという漢字を当てたのかしら?」

そのあたりは、オヒョウの全く知らない世界です。でも、利根川水系で、現在暴れ川として知られ、たびたび氾濫と水害をもたらしているのは、小貝川であり、鬼怒川ではありません。それは鬼怒川の治水事業が進んだからなのか、それとも昔からそうなのかは分かりませんが・・・。

どうも母の推理は違う様に思えましたが、あえて反論はしませんでした。

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鬼怒川の河畔から、駐車場へ戻る道で、母は再び不思議な事を言いました。

「この辺りに、トウモロコシ畑はないだろうか?」見渡したところでは、トウモロコシは見えません。そこで、母は「土」に登場するエピソードについて話し始めました。 

以下 次号


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夏炉冬扇

こんにちは。
長塚節生家は一度尋ねたいのですが、まだ実現させていません。

今は週末だけ節の兄弟のご子孫がいらっしゃるとか。

by 夏炉冬扇 (2010-05-04 17:22) 

笑うオヒョウ

夏炉冬扇様 コメントありがとうございます。

茨城県には、明治期の文学にゆかりの場所が多くあり、一度お訪ねになる事をお勧めします。

季節としては・・、ツツジの花が美しい、5月後半ぐらいが一番だと思います。
長塚節については、知ったかぶりを承知で、駄文を書き連ねますが、もしお読みいただければ、幸甚に存じます。

またのコメントをお待ちします。

by 笑うオヒョウ (2010-05-06 00:43) 

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