【 黄色賓館 その3 】 [中国]
【 黄色賓館 その3 】
一部の人権論者とマスコミは、かつての日本軍が行った女性の人権侵害つまり従軍慰安婦の問題にこだわります。 65年以上前の事なので、もはや証拠を挙げて肯定するのも否定するのも難しくなっているのですが、引っかかる点があります。
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従軍慰安婦問題を糾弾する人は、まるで西アフリカの海岸で奴隷狩りが行われた様に、日本軍が組織的に外国人女性を強制的に連行して、兵士への性的サービスを強要したと主張します。それは本当なのか?
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今の中国の様に、街中に風俗業に従事する女性がこれほど多いのなら、何も徴用したり強制連行しなくても、普通に既存の施設を利用すればよかったのではないか?・・とオヒョウは素朴に思ったのです。
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支払いが現地通貨でなく、日本軍の軍票だったりすると、多少困るかも知れないけれど、客として見た場合、日本軍将兵は上客だったはずです。ちゃんとした組織の一員であり、代金のとりっぱぐれは無かったでしょうし、健康管理・衛生管理もしっかりしていたでしょうから。
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当時の中国は今よりも貧しく、春をひさぐ女性は今よりも多かったかも・・。彼女たちは、強制連行されずとも、日本軍が進駐してくれば、自分から喜んでついて行ったのではないか?
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従軍慰安婦という言葉は朝日新聞の造語で、当時はそんな言葉は無かったと言う人がいます。 だから、この問題自体が捏造だと言いたい様ですが、それもちょっと違うようです。
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仮に、そんな言葉がなくとも、若い男性の集団である軍隊の周辺には、風俗業の女性が集まる方が自然です。ナポレオン研究で有名な両角良彦氏の著作によれは、東に遠征するナポレオン軍には、多くの女性が従ったそうです。将兵の身の回りの世話をする女性、さらには夜のお付き合いをする女性、その子供達まで含めて、家族単位で、ドイツそしてロシアへと、移動していったようです。
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考えてみれば、当時、フランス革命からそれほど月日が経っていない段階で、近代的で規律のとれた軍隊が出来上がっていたかは疑問です。フランス軍といえば、馬に跨るナポレオンの颯爽とした姿を連想しますが、実際には、民族大移動型の秩序の無い集団だった可能性があります。集団の中には、いわゆる従軍慰安婦も当然いたはずだと思います。
(どうも、私はイギリスのネルソン型の思考をしてしまい、ナポレオンには厳しくなってしまうのですが・・・)。
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実はこれは現代も同じです。軍隊の本質は変わりません。今、世の中は普天間基地の移転問題がかまびすしいですが、移転先は多くの条件を備えている必要があります。 その一つは駐留する兵士を慰安するための歓楽街の存在です。 沖縄本島や横須賀ではこの条件は満足されますが、徳之島や、ましてテニアンだの硫黄島では満足されません。
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ピューリタン的な潔癖さというか少女的な思考で、社民党あたりは、テニアンだの硫黄島だのと唱えますが、実は長期間そこに滞在する兵士には黄色賓館(売春宿)が無い、それらの島々は受け入れられません。
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無論、在日米軍司令官もそんな事は言いませんし、この問題は日米交渉には登場しませんが、重要で本質的な事です。
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戦前から中国や韓国に多くいたであろう売春婦の事に誰も触れません。今も昔も、かの地には売春婦は存在せず、だから日本軍は一般女性をむりやり従軍慰安婦にした・・という嘘を誰も指摘しません。
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在日米軍を維持するためには、滑走路だけでなく歓楽街も必要であるという事実を誰も言いません。
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しかし、誰も言わない事にこそ案外重要な真実があり、それに言及しなければ問題は解決しない・・と逆説で考えるオヒョウは思います。
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それはともかく、テニアンだの、硫黄島だのを海兵隊の移転先候補にするのは止めてくれと・・とオヒョウは言いたいのです。 あそこは65年前の多くの英霊が眠っている島です。勿論沖縄本島だってそうなのですが。
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