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【 菩薩の顔 】 [新潟県]

【 菩薩の顔 】 

近年、若い女性の間で仏像鑑賞を趣味にする人が増えているという話を聞きました。しかし、それはおそらく一過性の流行にすぎない・・とオヒョウは思いました。 なぜなら、彼女たちの人気を集めたのは、奈良興福寺の阿修羅像だけで、多様な仏教芸術全てに興味を示した訳ではないからです。そして彼女たちの多くが、仏像彫刻の背後にある、宗教観については無頓着であると聞いていたからです。 

でも仏像を眺め、その美しさを愛でる事はすばらしい事だと思います。 阿修羅像は、昔日本史の教科書の表紙になって、その美しい少年の顔が広く知られました。向田邦子の「阿修羅のごとく」のタイトルバックにも使われたと記憶します。

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かく言うオヒョウは、仏像について全く知識を持ちませんが、それでも、美しい仏像を見れば、すばらしいと思います。 亀井勝一郎のように小難しい理屈はいりません。そしてとりわけ好きなのは弥勒菩薩です。弥勒菩薩の像が日本中に何体あるのか知りませんが、半跏思惟像で特に有名なのは3体だと聞いています。 広隆寺の像、中宮寺の像、そして野中寺の像です。写真で比較する限り、中宮寺の像と広隆寺の像が特に優れているように思えます。

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最初に中宮寺の弥勒菩薩の写真を見た時、オヒョウは思わず、指の形を真似て、そっと自分の頬に触ってみました。その時、鏡が側になかったのは幸いです。 もし弥勒菩薩を真似たその表情が鏡に映ったら、むくつけきこのナルシストは、自己嫌悪にさいなまれたはずです。

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聞く所では、弥勒菩薩の半跏思惟像については朝鮮半島の仏像芸術の影響を強く受けており、これらの作品が日本製か朝鮮製かで近年まで議論があったそうです。

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オヒョウは広隆寺の半跏思惟像の実物は見た事があります。しかし中宮寺のそれは見たことがありません。 いつか見てみたいと思っていました。そして今年、その中宮寺の半跏思惟像が新潟市の美術館にやってきて、実物を見ることができると聞いていたのですが・・・、中止になりそうです。実に残念です。

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何でも、その美術館では、過去にカビが発生したり、虫がわいたりした事があって、文化庁が今回の展示にクレームを付けたそうです。美術館側では、館長に詰め腹を切らせて、責任を取った形にして、なんとか弥勒菩薩展示を実現させたいようですが、難しいかも知れません。

http://www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/9564.html

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そもそも、館長には監督不行き届きの責任はあるでしょうが、カビや虫の発生防止は、美術館長の仕事なのか・・? カビ発生で辞職せざるをえないのなら、高松塚古墳の壁画をカビでダメにした文化庁の長官はとっくにクビです。

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それはともかく、自分の無知を承知で独断と偏見を申し上げます。アジアの仏像にはそれぞれ、瞑想し、深く思索している表情があります。どの顔にもアルカイックスマイルというのでしょうか、聡明さと心の平安を含んだ穏やかな至福の表情があります。

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瞑想を思わせる仏像の極致が弥勒菩薩半跏思惟像です。半分組んだあぐらは、リラックスした状態を示し、頬に軽く当てた指と薄く開けたまぶたは、哲学を考える人の表情です。

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そこにいくと、西洋の彫刻は、ギリシャであれ、ローマであれ、深い思索を伺わせる表情が顔にありません。西洋彫刻の像では半眼の表情はなく、おおむね目を見開いています。瞑想する像はなく、思索を思わせる像も知りません。 無論、男性の筋肉美や女性の肉体美の迫力は圧倒されるほどすばらしいのですが、そこには瞑想も思索もありません。

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ロダンの「考える人」は、確かに「考える人」ですが、あれはトイレの便器に腰をおろした時の姿勢です。顔の表情から、その思索を伺う事はできません。もっとも、オヒョウはトイレの中でよく考え事をしますが・・・。

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ところで仏像の顔の表情を素晴らしいと思うのに、オヒョウは20年を要しました。本当に仏像のすばらしさを理解するにはもっと時間がかかるかも知れませんし、或いはオヒョウには無理かも知れません。

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今からン十年前、室生犀星の研究家である新保千代子氏の講演を、中学生のオヒョウが聞いた事があります。 彼女の話では、晩年の犀星は、なぜか幾つものお地蔵さんを庭に置き、さらにそれらを水平に地面に埋めて地表から顔が覗く状態にして鑑賞したそうです。 不可解に思って尋ねる人に対して犀星は、「僕はこの姿が一番美しいと思うんだ」と説明したそうです。

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全くオヒョウには到達できない、不思議な境地です。多分、死ぬまで仏像の美しさの事を考えても、その発想には至らないかも知れません。 そして美しい弥勒菩薩半跏思惟像を地に埋めようとは決して思わないでしょう。


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おじゃまま

仏像の本の表紙などで阿修羅と人気を二分してますね。
私は特に十年ほど前から仏像を見に(失礼;拝みに)参っておりますが、
このところ行っておりません。
話に聞くと、見るどころではないそうですね、いっぱいの人で。
阿修羅像も中宮寺の弥勒様も素晴らしいと思いましたが、
高野山の童子たちの像がとても好きです。かわいくて楽しくなります。
(楽しんでいいのか…)

by おじゃまま (2010-03-12 10:58) 

笑うオヒョウ

おじゃまま様
コメントありがとうございます。
仏像だけではありません。全ての文化財に見学者・観光客が殺到し、静寂の中で美術品を鑑賞する雰囲気はもうないみたいです。
ずっと前に他界した伯母が、戦前に斑鳩のお寺を廻り、とても感動したと私に語った事がありますが、私が「僕の時は砂ぼこりと喧騒の中で、せかされて拝観したよ」と答えると、顔をしかめ「そんなありさまでは、もう二度と行く気はしないわねぇ」と話していました。
でもね、それでも日本のお寺は、中国の観光寺院に比べれば、その喧騒はまだましです。

仏像を鑑賞するのは、他の美術品と異なり、ある程度の年齢や、宗教心が必要なのかと
思っていました。だから若い女性に人気があるというは奇異に思われたのですが、どうやら私の誤解でした。仏像を理解するのに年齢は関係ないな・・と最近理解した次第です。

またのコメントをお待ちします。

by 笑うオヒョウ (2010-03-12 11:23) 

Dr.Y.

新保さんにはその後もお目にかかったことがありますが、確かに中学校の時に講演を聞きました。それだけは覚えていますし、体育館に長い時間座らされて退屈だった記憶は今もありますが、内容はサッパリ忘却の彼方です。オヒョウさんの記憶力、凄いですね.......

この前も電話で話した時でしたか、高橋和巳のある小説のストーリーを要約されていたのですが、私はその小説も読んだ記憶だけで、内容はサッパリでした。記憶力、あるいは記憶のメカニズム?が私と違うのですかね.....

by Dr.Y. (2010-03-15 11:07) 

笑うオヒョウ

Dr.Y.様 コメントありがとうございます。
古い記憶の方が鮮明になるというのは、ある種の逆行性健忘症であり、私の老化が進んでいる証拠かも知れません。その分、新しい事は覚えられなくなっている訳で、日常のドタバタの中で、今勉強している中国語や、システムの事はさっぱり頭に入りません。
(もっともブログばかり書いていて勉強していませんが)。
貴兄のごとく、昔の事を忘れるのは、今新しい事をどんどん記憶できるという事で、ある意味うらやましいです。私には忘れたい過去はたくさんあるのですが・・・、忘れられません。 またのコメントをお待ちします。

by 笑うオヒョウ (2010-03-15 12:01) 

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