【 彼が夢見る2匹目のドジョウ その1 】 [雑学]
【 彼が夢見る2匹目のドジョウ その1 】
関経連の会長である下妻氏が新しいスタジアムの建設に乗り気です。なんでも大阪駅(梅田駅)のすぐ近くに広大な土地を確保できたので、8万人の観客を収容できる、サッカーやラグビーを行う競技場を建設しようというのだそうです。
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個人的には、賛成したい気持ち半分と反対したい気持ち半分です。しかし、この試みはうまくいくのかなぁ?
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下妻氏が、サッカースタジアムにご執心なのには訳があります。彼は住金の経営者だった頃(今も会長ですが)、Jリーグ発足時に鹿島アントラーズを設立し、スポーツチームとしても企業経営としても成功させた経験があるのです。彼は自分が鹿島アントラーズの生みの親だと自負しています。 そこで、前置きが長くなりますが、その時の経緯に触れます。
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Jリーグ発足前、住金鹿島製鉄所にはかなり強いノンプロのサッカー団がありましたが、プロスポーツとしてJリーグが発足すれば、中途半端な存在になる事は明らかでした。企業経営はスリム化が叫ばれ、中途半端な企業スポーツを抱え続ける事は許されません。そこで下妻氏は、住金鹿島のサッカー団をJリーグのチームに格上げする事を考えました。
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しかし、プロのチームになるには・・戦力が足りない。そこで仕事上の顧客であった本田技研のサッカーチームを吸収合併して戦力を強化し、さらに海外から大物の監督と選手を招きました。
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それでも、Jリーグに参加するハードルはまだ高かったのです。一企業のチームをその地域のチームにするには、地元自治体の協力が必要です。茨城県や鹿嶋市との交渉を重ね支持をとりつけましたが、人口の少ない田舎町がJリーグのチームを維持できるのか?というJリーグ側の懸念を払拭するためには、目に見える形で地元の熱意を示す必要がありました。
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本当か嘘か分かりませんが、Jリーグ側は(観客席に)屋根のあるスタジアムを作れば、Jリーグへの参加を認めてもいいよという条件を出し、鹿島側は本当に屋根のあるサッカースタジアムを建設し、Jリーグをうならせました。
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これで田舎町にJリーグのチームができ、それどころかその鹿島アントラーズは初年度のチャンピオンになりました。これはブラジルから招聘した大物監督、コインブラ氏(通称ジーコ監督)の功績大です。彼の指導・采配も一流でしたし、彼を慕ってブラジルから有力選手がアントラーズに参加したのです。プライドの高い選手の中には、他のコーチの指示をきかない人もいましたが、ジーコの指示であれば、素直に従ったそうです。
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余談ですが、ジーコ監督の本名はコインブラです。これはポルトガルのリスボンに近い都市の名前で、ポルトガル人の姓にもあります。ジーコとはポルトガル語で「お坊ちゃん」くらいの意味で、愛称ですが、ブラジル駐在の長かったM物産の人は、発音が違うと言います。正しくはジーコではなく、ジッコまたはズィッコという発音になるのだそうです。
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ジーコを招き、立派なスタジアムを建設した事が、鹿島アントラーズの成功につながりました。そして同時に、企業がスポーツに関わる、新しいモデルを示しました。
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それまでの企業スポーツは、プロ野球チームのオーナーになったり、実業団のチームを抱える形でしたが、企業の宣伝媒体としての役割が主で、単独での採算や収益性については無頓着でした。プロ野球の場合、読売以外は、当時たいてい赤字経営でしたし、実業団の場合は、損益そのものが曖昧でした。実業団の選手もノンプロという鵺のような存在で気の毒でした。
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そこへもってきて、野球や相撲以外でも、プロスポーツとして観客を集めて、独立採算で経営が成り立つ事を示したのです。選手はプロのプライドを持ち、チームは単なる企業の宣伝媒体から脱皮する事に成功しました。 選手のユニフォームに描かれる、住友金属のロゴマークはあくまで控え目です。 そして企業の従属物というより、地域代表の性格の強い存在になったのです。
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これを茨城県の田舎町で成功させたのは、確かに下妻氏です。しかし、大阪駅の裏につくる8万人のスタジアムは・・・ちょっと違うなぁ。ここからが本題ですが、それについては次号で。
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