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【 万機公論ニ決スベシ 】 [政治]

【 万機公論ニ決スベシ 】

 「広ク会議ヲ興シ、万機公論ニ決スベシ」とはご存知の通り、140年前の五箇条の御誓文の一文です。日本の民主主義のバックボーンはここに始まったと吉田茂あたりは考えたようですが、オヒョウはやはり日本の民主主義は帝国議会招集に始まったと考えます。

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それはともかく、今回の事業仕分けは、これまで密室での作業だった予算査定が白日の下で行われたみたいなもので、まさに「万機公論ニ決スベシ」が実現した事になります。

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しかし、公論というか議論で、本当に両者が理解しあい、譲歩しあい、納得して結論に至るか・・といえば、まずそんな事はありません。意見は対立したまま、議論は平行線のまま、そして最後は時間切れとなり、多数決で決まるというのが、これまでの国政です。多数決で結論を出す「数の論理」は、民主主義としては、かなり情けないありさまですが、現実はそうです。 なに、欧米の民主主義の先進国だって同じようです。

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だから、万機公論ニ決スル典型である「事業仕分け」も関係者全員が納得するなんて、はなから不可能でした。

一方的に切られた、科学技術開発や文教予算について「素人の横暴」だと批判がでれば、主宰者の枝野某という国会議員は、

「仕分け人の中にも超一流の学者や専門家が何人もいて、その人達の合意の元に、廃止を決めたのだから素人の横暴はあたらない。それらの専門家を納得させられなかったのだから、説明する側に責任がある」とうそぶきます。 

これは2つの意味で全く姑息な発言と言えます。更に言えば、国民を愚弄してもいます。

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事業仕分けに当たっては、納税者である一般国民の目線から妥当性を審議しようという考えでした。敢えて専門家が判断するのではなく、素人の素朴な意見の方を大切にしよう・・・というものです。

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その発想自体は、結構ですが、現実問題として個々の議論になれば、専門家でなければ判断できないか、専門家の意見でなければ説得力がない場面がでてきました。

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そして、今回の専門家の仕分け人は、いいダシに使われています。国民目線と言いながら、批判されると「専門家も反対しているのだから」と責任を転嫁し、素人の自分達が批判の矢面から逃げる楯に使われているのです。 事業仕分けの主旨と枝野氏の発言は矛盾しています。

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そして、今回選ばれた仕分け人の専門家は、予め主張や考え方が明白な人達で、民主党の意向に沿った人が選ばれています。

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あるプロジェクトを廃止に追い込むのは簡単です。プロジェクトの中心人物と対立する主張の研究者を仕分け人に選べばいいのです。後は、ちょっと知的な人民裁判がインターネット中継されるだけです。

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学者・研究者の世界は人格者ばかりではなさそうです。主義・主張・学説が異なれば、当然対立し、反目します。金属凝固という極めて狭い世界の研究者にさえ、対立関係はありました。 例えば北海道大学のT教授と大阪大学のO教授は、決して同じ席に呼んではいけない・・・とか、暗黙のルールさえあったのです。オヒョウなどは、高橋先生の論文も大仲先生の論文も立派だなと思い、尊敬していましたから、その話を聞いた時は困惑しました。

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オヒョウは一時期、大学の先生を呼ぶ時の茶坊主みたいな仕事もしていたのです・・ハイ。

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どの先生とどの先生が反目し対立関係にあるかは、学会の内部の人にしか分かりませんが、素人にも調べる方法はあります。同一領域または近接領域の研究者間で、互いの論文引用件数を調べればいいのです。同じ研究分野にいて、相互に引用していないとなれば、対立する学説を支持するか、反目しているか・・です。或いは、大規模な国家プロジェクトが進行するなか、そのメンバーに入っていない研究者はしばしばプロジェクトに批判的になります。なんだか、寂しい話ですが、研究者も人間です。

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平K博士らが中心になって進めるスーパーコンピューター開発プロジェクトに、同じく科学技術計算の超高速化を研究する東大の金D教授は参加していません。 金D教授を仕分け人にすれば、当然批判的な見解が示されるのは予想される事です。 だから民主党は彼を仕分け人に選び、プロジェクトを批判させ、そして「専門家を説得できないようでは、プロジェクトに問題があるのか、説明が下手な訳で、こちらの問題ではない」と、うそぶく訳です。

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名前は民主党だけど、やっていることはあまり民主的ではありません。文化大革命の時に中国ではやった吊し上げに似ています。そういえば、民主党には、いまだに文化大革命を礼賛する人がいるそうですね・・。

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かつて、住友銀行の磯田一郎は、倒産しそうな会社を支援する際、「 経営陣の中で、バカが仲良くしている会社は救いようがない。バカが喧嘩している会社は、まだ何とか救える 」と言っています。喧嘩して議論が活発に行われれば、そこに建設的な提案もなされ、活路が開けるという意味です。

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事業仕分けは、オヒョウに言わせれば、バカが喧嘩している構図です。(本人達は十分に利口な積もりですが・・・)。

国の財政が破綻しかけている時、バカが喧嘩している訳ですから、磯田一郎流に言えば、まだ望みがあります。

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しかし、ここで言うバカの喧嘩には、建設的な意見表明の機会が担保されねばなりません。全てが問答無用で、銀行管理下の会社よりも窮屈な状況下では、見通しは明るくありません。

なかなか万機公論には決しないのです。


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