SSブログ

【 国の名前 】 [雑学]

【 国の名前 】

 鳩山首相の友愛外交の方針に基づけば、日本は大陸諸国(中国、ロシア、韓国など)との融和を進めていく事になるでしょう。 その分、相対的に米国との関係は冷え込むでしょう。 それが日本の国益に適うかは、諸説あるでしょうが、ここでは考えません。

・・・・・・・・

アジア諸国との友好を深める場合、諸外国からのさまざまな要求を聞き入れ、譲歩する必要がでてきます。困った事に、それらの多くは、一見、中立で公平な提案に見えますが、実は外国側にとって都合のよい案件である事が多いのです。

・・・・・・・・

具体的には、日韓で歴史認識を共通にして、教科書の記載内容も統一しよう・・・なんて提案が予想されますが、そんな事は全く無理です。自民党政権下でも、共通の歴史認識の確立が試みられましたが失敗し、会議は全て物別れになっています。

・・・・・・・・

失敗した理由は、韓国側の研究者が、一方的に持論を日本側に押し付けるだけで、日本の主張を理解しようとせず、しばしば感情的になって議論が成立しなかったからだそうです。

・・・・・・・・・

つまりこれは両者で一緒に研究するのではなく、韓国側の主張を日本に認めさせる為の機会に過ぎなかったのです。 でもこれを以て韓国側を非難するのはあたりません。それが当たり前だとオヒョウは思うのです。

・・・・・・・・

国家間では、共通化を図るべきものと、敢えて共通にせず、独自のままとすべきものの2種類があります。工業規格や通信のプロトコルなどは、なるべく統一すべきでしょうが、歴史や文化などは、共通にする必要は全くありませんし、そうすべきではありません。

・・・・・・・・

特に歴史教育の内容は、各国がそれぞれの立場で決めるべき物です。(勿論科学的ではあるべきですが)。 経済的には一体化したEUの中でも歴史教育は、各国それぞれです。ドイツの教科書とフランスの教科書が違って当然です。オヒョウは知りませんが、隣国同士のイスラエルの教科書とパレスチナの教科書が同じだとは、とても思えません。同じ様に、日本と韓国でも歴史教科書は違って当然なのであり、共通の歴史認識を持とうという取り組みはナンセンスです。

・・・・・・・

もし、韓国から再度、歴史認識の統一に関する提案があれば「まずかつての高句麗についての見解を中国と韓国で統一してから、提案してください」と答えるべきです。しかし鳩山首相がどう考えるか・・・心配です。

・・・・・・・

もし、何かを統一したいのなら、まず国の呼称の統一を図るべきです。あるいは、個々の呼び方について、認識を統一するべきです。

・・・・・・・

具体的には、支那、三国人、と言った呼び方に対し「それは蔑称であり、使うな」という諸外国の要求にどう答えるかです。もともとは蔑称でなくても、現在は侮蔑のニュアンスを持つ・・という場合もあるので、この問題はデリケートです。それなら、各国が正式見解を打ち出せばいいのです。

・・・・・・・

実はこれは一方的な問題ではありません。逆に日本を蔑称で呼ぶ場合もあるからです。

・・・・・・・

先日、番組名は忘れましたが、NHKで、朝鮮半島の古代の歴史についての教養番組を放送していました。出席者は、日本と韓国の大学教授、それに日本人の司会者ですが、その番組では、任那の存在は完全に無視され、日本の呼称は倭国になっていました。一度司会者のアナウンサーが日本と言いかけ、慌てて倭国に訂正していました。 また大化の改新については、全て乙巳の変(いっしのへん)という言葉で統一されていました。厳密にはクーデターである乙巳の変と、律令政治を確立した革命である大化の改新は別物ですが、番組では区別せず、乙巳の変として、野蛮な政変という扱いでした。

・・・・・・・

7世紀以前には、日本という国名は存在しなかったという説に基づけば、正確を期す為に、倭国という名前に固執するのも理解できますが、番組には、それ以外に日本を倭国と呼びたい雰囲気がありました。

朝鮮の歴史を議論する際、日本は周辺の未開の国だったと言いたい為に、敢えて倭国という名前を使ったのではないか?

・・・・・・・・

また、正確を期する為に倭国という名称を使うとしても、倭国には北九州をテリトリーとした王国であったとする説と、奈良の大和朝廷を指すという説があり、倭国という名前を使う事により、却って対象が不正確になる可能性があります。少なくとも厳密には倭国=日本ではないという点に留意すべきです。

・・・・・・・

では、倭国は日本に対する蔑称か?これは支那という名前と同じかも知れません。 もともとは、蔑称でなくても現在は蔑称の意味合いがあります。 おそらく番組の出演者は、倭国は蔑称ではなく、当時の普遍的な名称として用いた・・・と答えるでしょうが、倭国が東洋の中華思想の中に組み込まれた言葉である以上、この言葉は日本を中国や朝鮮に対して劣位に位置付ける事を意味します。

・・・・・・・

だから、聖徳太子は隋の煬帝に送る親書に倭国という言葉を避け、「日いづる処」という呼称を使ったのでしょう。

・・・・・・・・

話を元へ戻しますが、オヒョウは、本来は蔑称でない言葉でも、現在は侮蔑の意味を含めて用いられる事がある名称は公には用いないのがマナーであると思います。それは支那も三国人も同じですし、倭国も同じです。日本の公共放送であるNHKが、その点に配慮しない事は理解に苦しみますが、番組に登場した研究者達は、あるいは聖徳太子は存在せず、「日いづる処」の親書も捏造だ・・・と言うのかも知れません。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。