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【 広島・長崎オリンピックに反対 その1 】 [政治]

【 広島・長崎オリンピックに反対 その1 】

 東京が2016年の夏季オリンピックの誘致に失敗した事を受けてか、広島と長崎が共同開催の形で2020年のオリンピックを誘致しようという運動が始まりました。

米国のオバマ大統領の核廃絶に向けての真摯な姿勢を見て、今が反核を世界にアピールする好機だという思いもあるみたいです。 マスコミや世の評論家達も一様に賛成していて、応援する声も大きい様です。反対意見は聞かれません。

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でも待てよ・・・と、他人様と必ず違う視点で考えてしまうオヒョウは懸念します。それは本当に良い事だろうか?オリンピック憲章に反しないだろうか?

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オリンピックには、政治的なメッセージを持ち込む事は禁止されています。 過去に、人種差別に反対するアピールを行った選手のメダルが剥奪された事もあります。 具体的には陸上競技で優勝した黒人選手が、白いシューズを履いて、手には黒い手袋をし、表彰台の上で拳を頭上に突き出しただけの、ささやかな無言のメッセージだったのですが、委員会はこれを許しませんでした。

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人種差別に反対するのは、普遍的な正義です。 暴力と戦争を非難し平和を訴える事も正義です。 でも、正義のアピールであっても、オリンピックでそれらの主張は、本来認められてはいないのです。

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それに、核兵器反対、核兵器廃絶を叫ぶのは、結構ですが、それに広島と長崎を担ぎ出すのには、ちょっと問題があります。それはどういう意味か?何かのメッセージを発信して、何かを主張するという事は、一方に訴えられる側の人々がいるという事です。彼らには、その訴えが必ず負担になり、プレッシャーになります。

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人種・宗教・イデオロギーと関係なく、全ての参加者を暖かく迎えるのがオリンピック開催地に求められる姿勢です。しかし、敢えて、原爆投下の被災地で開催し、原爆の惨状をPRするとしたら、原爆を投下した側の米国の選手団は少なからずプレッシャーを受けるでしょう。

「 そんな事はない。我々は過去のアメリカの非人道的行為を非難・糾弾するために、広島・長崎で開催するのではない。これからの核廃絶を求める未来志向だ 」・・・という人もいるでしょうが、それはペテンです。

これまでの反核運動は、実は反米運動と不可分の形で行われてきました。

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日本の立場を語る上での常套句である「唯一の被爆国である日本」という言葉にも、決して未来志向ではない、過去の行為を非難するニュアンスが含まれます。

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「 そりゃ考えすぎだ。一つの国を非難するのが目的ではない 」と主張しても、要は米国人選手団がどう思うかです。

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突飛な例えですが・・・、戦争での非人道的な行為を無くすアピールの為、中国南京でオリンピックを開き、南京大虐殺記念館の前にスタジアムを作ったとしたら、どうでしょうか? 或いは、戦争の悲劇を訴える為に、ハワイのオアフ島で、オリンピックを開き、スタジアムをアリゾナ記念堂の前に作り、全参加者は競技の前にアリゾナ記念堂を見学する様に求めたらどうでしょうか?日本人選手団はプレッシャーを感じないでしょうか? 

せっかく国と民族の垣根を超えて、人々が仲良くする祭典で、ぎくしゃくした雰囲気にならないでしょうか?

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或いはまた、ホロコーストを繰り返さない為に、ポーランドのアウシュビッツでオリンピックを開催するとしたら、ドイツ人選手団はどう思うでしょうか?勿論、広島・長崎とアウシュビッツは違いますが、訴える内容には共通点はあります。

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それと・・何時までも、被害者意識をひきずるのは、本当に良いことなのか? 確かに広島・長崎の悲劇を繰り返してはならないのですが、過去の悲劇ばかりに目を向け、被害者として加害者を糾弾するのは、人品高潔の人の態度ではありません。 日本の隣には、何時までも過去にこだわり、謝罪と賠償を求める国がありますが、なんだか交通事故の当たり屋の様な、卑しさを感じてしまうのです。 日本も同じ様な行動をとるべきではありません。

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日本は被害者であると同時に加害者でもありました。 原爆の悲劇を訴えるにしても、徒らに相手国を非難する事にならないよう、気を付けるべきです。 ましてそれをオリンピックで訴えるのは・・・注意すべきです。 百歩譲って、広島・長崎の市民は皆、純粋な被害者であり、加害者ではなかったとしても、被害をことさら強調する事に、オヒョウは心理的抵抗を感じます。 

極端かつ下品な例えで恐縮ですが・・・・・・・・

レイプされた女性が、加害者を非難するために、或いは、今後同種の犯罪が起きない様に「自分はこのように暴行されたのだ!」と股間を開いて、公衆の面前で横になるでしょうか? その様な行為はあまり共感を呼ばないでしょうし、自らを辱めるだけになるかも知れません。でも下手をすれば、広島と長崎の訴えは、同じ事になります。

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これまでの日本の反核運動は海外で一定の成果を挙げていますが、米国や中国などでの反応は冷ややかで、どちらかというと、例に示したレイプされた女性の如くです。

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共感を得られない代わりに、日本が悪い事をしたから罰されたのだ・・・とか、再び全体主義の侵略国家に襲われない為に核兵器は持たなきゃ・・という風に思われる事が、しばしばあります。 オリンピックでそんな印象を与え、各国が鼻白んでも、つまりません。

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そして、オヒョウが何より、懸念するのは、反核・核兵器廃絶のスローガンが「正義」である事です。その点については次号で申し上げます。


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笑うオヒョウ

広島ピアノさん、niceをありがとうございます。
広島ピアノさんのブログも拝見し感服しました。
原爆の問題は重く、なかなかオヒョウの軽薄なブログには馴染まないのですが、いずれ、考えをまとめて、ご紹介したいと思います。
by 笑うオヒョウ (2009-10-22 01:27) 

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