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【 茶色の靴 】 [金沢]

【 茶色の靴 】 

去年の夏の事です。金沢の繁華街のある店で、日差しの中、葡萄棚の下のテーブルでビールを飲んでいると、「 ヨオッ! 待った? 」の声があり、T君が姿を現しました。

こころなしか、ちょっとガニ股で歩いています。どういう事か?と思っていると、彼はズボンの裾をちょっと上げて茶色の靴を見せ「今日は天気がいいからこれを履いてきた」と話します。

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さて、どういう事なのか? 晴れたから革靴を履き、雨ならばゴム長でも履いてくる・・と言いたいのか? オヒョウの懸念を読みとった様に、彼は説明を始めました。

「 今年、娘がK大学を卒業して、大学病院に就職したんだよ。その初月給でこの靴を買ってくれたんだ。 俺の宝物だよ 」

ああ、なるほど・・・、ところで、初めてのお給料で親に何をプレゼントするかは、ひとそれぞれですが、財布やバッグ、ネクタイなんてのもありそうです。どうして靴なのか?

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靴の場合、足にぴったりあった出来のいいものは、とても履き心地が良く、プレゼントされたありがたみは、財布やバッグより強く、ひとしおだろうと思います。 しかし、靴は履いていればすり減ります。鞄や財布より消耗が早く、寿命が短い訳です。 まして彼は新聞記者、足で稼ぐ商売でもあります。せっかくの記念の品物だけど、長持ちするのかな?

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再び、彼はオヒョウの思いを読みとったのか、こう続けます。

「 大切な靴だから、特別な時しか履かないのだ。 今日は昔の友達と会う大切な日だから、特別に履いてきたのだ。 まあ、ちょっと自慢したい気持ちもあるし 」と破顔一笑、おおいに笑います。

彼は、その1年前に兼六園の横の料理屋で会食した時も、奥さんと一緒に、大笑いしていました。その笑顔と同じ顔です。

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「 なるほど、そうか、それは結構な事だ 」

「 そう言えば、俺は自分の初月給で親や家族に何かプレゼントしたかな? 遠い昔で憶えていないけれど、何もしなかったかも知れない。何とも親不孝な男だ・・ 」とオヒョウは反省する一方、

「 自分の息子達は、将来収入を得る身分になったら、何かプレゼントしてくれるかな? どうせずっと遠い先だろうし、あまり期待してはいけないな 」・・と

自分の家庭に照らし合わせて、ちょっと考えてみました。

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それから、一年あまり経った先日、あるホームページを見てみると、彼の顔写真が写っています。 呵々大笑していた1年前と違い、なにやら泣いています。 それは、あの茶色の靴をプレゼントしてくれた娘さんの結婚式で、彼は花嫁の父の立場で花束を贈呈されて、泣いていたのです。「 ああ、なるほど、そういう事か・・」

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オヒョウには女の子はいません。多分「花嫁の父」の心境というものは一生分からないでしょう。かろうじて推理するのは、花嫁の父親を描いた映画の最高傑作と言うべき、小津安二郎の一連の映画に登場する、笠智衆の演技からです。 しかし、極端に表情や感情の露出を押さえる小津流の演出に加え、ぎこちないというより、不器用というべき笠の演技から、実際の花嫁の父の感情を理解するには限界があります。

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笑った顔しか知らない、T君のこんな表情を見る事で、映画だけでは決して分からない「花嫁の父親」の感情を、鈍感なオヒョウも知る事ができたのです。

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一年前の彼のあの靴は、多分まだ新しいままでしょう。次に彼があの靴を履く時、にこやかに笑うのか、それとも寂しい思いにかられるのか、それは分かりません。 しかし靴がボロボロになる頃、もう寂しさはないはずです。多分、優しい娘の思い出で、朗らかな気分になるに違いありません。品物は、どんどん古くなり傷んでいくのに、記憶だとか思い出だとかは、しばしば新たになります。そして良い思い出の方が長く残る様です。

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多分、彼は、ボロボロになってもあの靴を捨てないだろうな・・。


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