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【 我が心は石に匪ず 再び  その2 】 [政治]

【 我が心は石に匪ず 再び  その2 】 

成田空港の問題を議論するなら、成田に新空港建設が決まった経緯から考える必要があります。

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昭和39年版の小学館の百科事典には、当時の新東京国際空港の案が複数載っています。 その中で最大のものは、霞ヶ浦を干拓して空港にするもので、ヒースロー空港に匹敵する規模が期待できました。今、考えれば、成田よりも東京に近いし、筑波研究学園都市も至近になります。 高速道路は、東関東道より便利な常磐高速に接続しますし、茨城県北部の、産業都市(日立など)へのアクセスも便利です。当時計画中だった東北新幹線から支線を出せば、新幹線も空港に接続できました。

オヒョウは新空港の候補地として霞ヶ浦は最適だったと考えます。

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難点は、百里の自衛隊航空基地と空域が重なる事と、干拓・埋め立て型の空港は難工事で時間と費用がかかる事、それと霞ヶ浦の内水面漁業者に対する補償が必要・・・というもので、今、思えば大した問題ではありません。

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結局、干拓・埋め立てにかかる費用と時間を考えて、霞ヶ浦案は没になり、富里案が提案されました。しかし、陸上の富里案では用地買収の困難が予想され、突如三里塚案に落ち着きました。三里塚には宮内庁の御料牧場があり、その土地を活用する事で用地買収の手間が相当省ける・・という発想です。面積規模は、霞ヶ浦→富里→成田(三里塚)とどんどん小さくなっていきました。

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でも、佐藤内閣で行われたこの決定は、突然であったのと、密室での決定だった事から、野党やマスコミから反発を受ける事になりました。そしてなぜか、成田(三里塚)に決めた理由として御料牧場の話は、ずっと明かにされませんでした。

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そして三里塚案には誤算もありました。この地域は房総丘陵の一部で、水田にはあまり向いていません。畑作と陸稲がありましたが、先祖代々の農家ばかりではありません。 大陸からの引き揚げ者の開拓農地も含まれていました。その開拓地も土地収容の対象になったのです。

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彼等にしてみれば、国策に翻弄された人生です。政府にそそのかされて満蒙の開拓に取り組み、命からがら引き揚げた内地で、新たに痩せた土地の開墾を促され、更に国の都合でその土地も取り上げられるとなれば、「我が心は石に匪ず」と叫びたくもなります。 成田闘争の農民の主張には「先祖から受け継いだ農地を守る」という声ばかりですが、それだけではなく、自分の代に新たに開墾した農地だからとりわけ手放したくない・・という意見もあったはずです。どちらが切実な思いなのか・・・実際に農業を経験した事のないオヒョウには判りません。

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しかし、この農民の反発は、新左翼の過激派に利用されてしまいます。その時期、新左翼系の団体は活動目標を失って困っていました。安保闘争も終わり、大学紛争も下火になっていました。そのどちらも敗北した訳ですが、その為、新たな活動目標を必要としていました。要は反対運動をできる対象があれば、米軍基地でも原子力船でも何でもよかったのですが、その中で農民と連帯できる成田闘争は居心地のいい活動場所となったのです。

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表向きは、各セクトとも適当な理由を掲げていました。「 成田空港は、必ず米軍が軍事利用するに決まっているから、ベトナム反戦の立場から、これを粉砕する 」などと、今聞いても、昔聞いても噴飯ものの珍説を唱えていました。 理解しがたい事に、分別もあるはずのマスコミも、こぞってその意見に理解を示し、成田闘争に同情的でした。共産党と社会党も、成田空港に反対し、今でも「ひとつぼ運動」の地主には、土井たか子らの政治家の名前がまだ残っています。

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当時、日本と国交の無かった中国も、通信社を通して成田空港に反対する声明を出しています。しかし、その後中国と国交が成立し、台湾の航空会社と別の空港にする中台分離の観点から、中国の中国民航(当時)を成田に、台湾の中華航空を羽田に残す・・という提案を日本がすると、コロリと成田空港賛成の声明を出しています。

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中国共産党を心の故郷と考えていた、新左翼系の活動家には裏切られた・・と思った人もいたはずです。

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千葉県は、政府が閣議決定した成田空港案を受け入れた訳で、土地収容などを代行しましたが、新空港を受け入れた事で、多大な負担を被った訳ではありません。 また、首都圏に他の国際空港があっては困る・・という訳でもありません。 40年後の今になって、県知事が眠れない程怒るのは全くナンセンスです。オヒョウが千葉県知事なら、羽田の国際空港化に反対したりなどせず、互いに補完機能を持つ、国際空港として共存を提案します。そして羽田=成田間の高速交通機関(リニアモーターカーなど)を提案します。

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実は、大都会の第一空港と第二空港の間の地上の高速交通機関が充実した国は世界的に希なのです。ロンドンのヒースローとガトウィック、ニューヨークのJFKとラガーディア、上海の浦東と虹橋、ソウルの仁川と金浦、どれも相互連絡が悪いのです。

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羽田=成田間の高速交通機関が完成すれば、東京の優位性は増し、両方合わせて、前原大臣が望む、東アジアのハブ空港の地位も見えてくると・・オヒョウは思うのですが。


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