【 我が心は石に匪ず 】 [政治]
【 我が心は石に匪ず 】
中国最古の詩集である、詩経の邶風篇に有名な詞があります。
我心匪石 我が心は石に匪ず
不可轉也 転がす可からざる也
我心匪席 我が心は席(むしろ)に匪ず
不可卷也 卷く可からざる也
威儀棣棣 威儀 棣棣(ていてい)として
不可選也 選ぶ可からざる也
というもので、人によっては柏舟篇という人もいますが、オヒョウの確認した資料では、邶風篇です。 風とは各地方の民謡、俗謡を収録した綴りという意味だそうです。
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では、心が石ではない・・とはどういう意味か? これは情けを解さない石の様な心ではない・・という意味ではありません。
これは、兄によって政略結婚させられる妹が、兄の政治方針の変更によって嫁ぎ先を突如変えられ、むりやり引き戻されて他の嫁ぎ先へ送られる際、
「私は石ころではない。かってきままに転がさないでくれ」と悲痛な思いを訴えた言葉が詩になったものだそうです。この言葉は高橋和巳の小説の題名にもなって有名になりました。
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現代に政略結婚があるかどうかは分かりませんが、生活や人生が政治に翻弄される人は今でも多くいるでしょう。
最近なら、さしづめ、八ツ場ダムで水没する地区の人々が、いい加減にしてくれ・・・と言いたいはずです。
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オヒョウは、本当に不必要な事業なら停止するのも見識だと思いますが、工事差し止め派も、工事推進派も、その論拠がはなはだ胡散臭いのが不愉快です。
現在の政府などの工事差し止め派は、
1.計画時点 (57年前)の予想に比べて、水の需要予測は少なく、
新たな首都圏への水の供給は不要。
2.治水対策は河川改修などで既に実施され、ダムに治水を
頼る必要はない。
という主張です。
でも本当でしょうか?
ある民主党を支持するTV番組では、昭和時代をろくに知らない若いコメンテーターが、「確かに最近はトイレも節水型になってきているし、洗濯機も節水型になっていますから、昔ほど水は使いませんね・・。」それを聞いて、オヒョウは思わず苦笑いしてしまいました。
八ツ場ダムが計画された昭和24年は、トイレの水洗化率は今より遙かに低かったのです。節水型トイレどころの話ではありません。電気洗濯機も普及していませんでした。それどころか、毎日お風呂やシャワーを使う生活でもありませんでしたし、内風呂は少なく、銭湯が一般的でした。勿論、マイカーを洗ったり、ペットの犬をシャンプーするなんてこともありませんでした。若い女性が朝シャンをする事もありませんでした。
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手元に資料はありませんが、多分、昭和24年時点で、都市部に住む人の一人当たりの生活用水消費量は、現代の1/3以下だったと思われます。 現代社会で、より生活を快適にするという事は、より多くの水を使うという事でもあります。 多くの水を使うという事は贅沢な事でもあります。 今の首都圏は、57年前には予想もできなかった程、多くの水を使っているのであり、計画より水の消費量が減ったという民主党の主張は理解できません。
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今、首都圏で水の受給があまりタイトでなく、余裕があるのは、他にもダムが多くあるからです。東京へ水道水を供給する水ガメは13個あります。しかし、それで将来も十分であるという保証はありません。
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その中の古株である、小河内ダムは、1926年(大正15年)に計画し、完成は1957年(昭和32年)です。30年を要しており、その間、左翼勢力を中心に猛烈な反対運動がありました。八ツ場ダムの建設に何十年もかかるというのは異常で、計画自体が間違っていた・・というのは適切ではありません。そもそもダム建設とは、時間がかかるものなのです。
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昭和30年代、小河内ダムや藤原ダム、相俣ダムだけでは貯水量は全くたりませんでした。東京オリンピックを控えた昭和38年の夏、東京は空梅雨もあって猛烈な水不足に襲われたのです。東龍太郎都知事の時代です。大野伴睦らは、突貫工事で水不足の解消を急がせましたが、ダム建設は間に合わず、東京都の水不足は神奈川県からの水の融通などで、その場をしのぎました。昭和39年の東京オリンピックは水不足の問題を抱えながら開催されたのです。首都圏の人口増加と、生活水準の向上は、予想以上に水の需要を増加させたのです。
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東京の水不足が、とりあえず解消したのは、矢木沢ダム(昭和42年竣工)、薗原ダム(昭和40年竣工)を待っての事です。大正の終わりから昭和の初めに立てた計画がやっと実現し、なんとか東京の水不足は解消されました。
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でも、これから先の事はわかりません。 気候変動は空梅雨と、集中豪雨をもたらすかもしれません。 予想が困難な場合、安全をみる必要があります。 それは即ち貯水量を多めに確保する事を意味します。その場合、八ツ場ダムは必要です。
節水トイレが普及したら、ダムは要らない・・・という幼稚園児的な発想は通用しません。
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民主党政権は、本当に八ツ場ダムが不要であると、精密に検討した訳ではなく、自民党政権が推進した政策だから反対しようという「反対の為の反対」であると地元の人は見抜いています。或いは、手っ取り早くお金を確保できるから、中止しようとしている事を見抜いています。 だから彼らの心を石の様に弄んではならないのです。
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確固たる信念や、研究しつくした結論が無ければ、民主党のダム政策はこれからブレまくるでしょう。
八ツ場ダムだけではありません。
そしてブレまくるのはダム政策だけではありません。
沖縄の普天間基地の周辺住民もやがて、叫ぶでしょう。
我が心は石に匪ず・・と。
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